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「青い天使」

久しぶりに文章を書く。もう書くことがアホらしくて、ブログなんか書いたってええ事なんか殆どないと思っていた。文章は書く人の人柄が滲み出るもので、カッコつけの文章はカッコつけた感じ、かっこいい人の文章は下手でもかっこいい。声もそうだ。なんかムカつくやつの声ってどんだけいい事言ってたってなんかムカつくは払拭されないし、落ち着く声の人の声はまるで催眠術にかかってしまうように心地よい。店主の人柄とやらを晒せば、お客様は面白がってくれるという理由でこういったブログスペースがあるのだろうか。だけどそれは、「面白い人」「魅力ある人」なら好転するけど、「悲惨な人」「つまらない人」だと見る方も晒す方もジゴクだ。僕は自分が後者に属している人物だと自覚しているため、ブログなんぞ辞めようと思うようになっていった。例えば素晴らしい俳優さんがいたとして、その人のブログや素性はなるべく見たくないたちで、その俳優が浮気していようがどうでも良くて、その演技の素晴らしさは揺るぎないのでそれでいいじゃないかと思う。結局、金儲けに繋げるために素性を晒したりする事がアホらしくなったんだと思う。実際、ハガキによる誹謗中傷やそれ以外でもいちいちめんどくさい批判を投げかけてくる人間もいる。とても疲れてしまった。人柄は変えることが困難だ。支持者は時に指示者になる事を身をもって分かった。じゃあ書くなや、つう浅ましい意見に対して反論する気もない。仰る通りですね、永遠にさようならと言う気持ちです。前置きはこの辺で、本編へ移ります。

人に感動を与えたいとか、勇気を与えたいとか、そんな技狙って出来ると思えない。ダーツの針が的のど真ん中に命中させる確率は低い。楽して痩せるとか、コスパの良いビジネスとか、うっせ!食うな!汗かけ!と心で思う。人生は永いサウナと同じ、死ぬ時にサウナから出た解放感を得るために苦しむ、みたいなことをビートたけしがおっしゃってました。なんと極端な考えかと思ったけど、満更あたってるように思う。この前のお盆期間にそれを痛感した。連日忙しくて、相変わらず妻とふたりで営業していたんだけど、余りにも忙し過ぎの徹夜続きだった最中、幻を見た。ランチ終了後、客席にはまだお客様がチラホラ居た。やる事山積みだけどちょい休憩しようと椅子に腰掛けた途端に、気を失ったのだ。 顔がハートの形した痩せた全身青の人が微笑みながら近づいて来た。後ろの遠くには彼女みたいなピンクの人が居た。僕はそれこそサウナから上がった解放的な気持ちで泣きそうになった。その青い人は何も喋らないのだけど、「来るかい?」と僕を誘っているようだった。「すみませーん」と本物の人の声が聞こえてハート形の青い人は消えていった。なんだったんだあいつは。神秘的な体験だったので忘れないようにその青い人の絵を描いた。

後から思ったんだけど、あの子たちはフランダースの犬の最終話で出てくるお迎えの天使たちなんじゃないか、と思った。あの微笑みは「今まで辛かったね、偉かったね、頑張ったね」の類の表情だった。僕は狙って人を感動させたり出来ない凡人で、数撃ちゃ当たる作戦でしか人を喜ばせる事が出来ない。そのむやみやたらな作戦が偶然ヒットして沢山のお客さんに認めてもらっているように感じて泣きそうになった。あの時青い天使について行っていたら天国行ってたんやろか?などと思いを巡らせた。ついて行ってないという事はまだこの世のサウナ修行が終わってないって事だな。お客さんが美味しいねと言ってわざわざ来てくれるのだ。まだまだやり足りないのだろう。と言う事を心ある人に伝えたくて、ブログを書きました。いつもありがとうございます。

「親切」

小さな親切大きなお世話って言葉にもろはまってしまった出来事があった。
スタッフが休憩中、女性客3名さまで、注文を僕が訊いて、僕が全部ひとりで作る流れだった。

スペシャルモーニング3セットのオーダー。
ホットドッグ&アーモンドトースト2セット
サンドイッチ&アーモンドトーストセット1セット

ということはホットドッグ2個、アーモンドトースト3個、サンドイッチ1個。先ずウインナーを2本湯がく。はじめの段階で既に凡ミスをしており3本湯がいていた。これを「団子どっこいしょの法則」と自分だけ呼んでいる。小学生の国語で習った話しです。【子どもがお婆さんに団子を作ってもらい食べたところ、初めて食べる団子に感動して、家でお母さんにも団子作ってもらおうと思い、お婆さんの家から自宅へ帰る途中忘れないように「団子団子団子団子」と連呼しながら帰った。途中に川に差し掛かり、飛び越えるさいに「どっこいしょ」と掛け声をしてしまい、団子がどっこいしょに変わってしまい家に着いてお母さんに「お母さん!どっこいしょ作って!」となるオチの話しです】

ホットドッグ3つに増えてアーモンドトースト2つ減っていた。当然提供した際にお客さまに指摘され間違いに気付く。お客さまは「このままでいいですよ〜」と言って下さり、すんません!って感じで履けたんだけど、自分の阿保さ加減に腹立ち、お客さまを喜ばせたいと思い、薄いアーモンドトーストを焼いてそっとテーブルに持って行った。すんませんお腹いっぱいなら食べなくてもいいので、心ばかりですがどうぞ。と伝えまた履けた。
ゆっくりされてから退店され食器を下げに行ったら、後で差し出したミニアーモンドトースト丸々残していた。なんと俺は愚かなんだと感じた。自分がミスした挙句、ええかっこしたいだけで、人の気持ちに全然寄り添えれてないやん、ダサいねオレ、。お腹いっぱいだっちゅーの、。こういうことを僕はよくしてしまう。テイクアウトの注文も時間指定で聞いて承諾したものの、自分の実力を過信して全然間に合わず更にお待たせさせてしまう、とか。やる気と力量が比例してないから、逆に迷惑かける形になってしまうんですよねえ。身の丈をわきまえて、人の気持ちの裏をかこうとかせこいこと考えず、自分に出来る事を頑張ればいいだけなんだなあと後になってからやっと思いが至る。優しい人になりたい。最終的に気合いっていうのが好きでコテコテな根性論にはまってる自分を一回しばいたらなあかんな、とか、そのしばくもダメやん、とか、自問自答の毎日です。だけどこれだけは本当に思うんです、人に少しだけでも喜んでもらいたいってまじ。

10円ドーナツひとり反省会

10周年企画の10円ドーナツがお陰様で大盛況バカ売れしまして、午前中で完売、ありがとうございました。そして、お待たせさせてしまったり、目前で完売してしまったお客様、この場を借りて謝ります。すみませんでした。 色々と考えさせられて、ちょっと頭の中整理したくて書いてみようとなりました。

最近また仏教マイブームが来てて、悟りとか仏の道とか執着を捨てたいとかがぐるぐる頭の中で回り出してて、そんな中で10円ドーナツが生まれてしまいました。自分の中ではお布施のイメージで感謝の気持ちを表そうとしたんだけど、思いつきのノリと、実際現実的にするのとではかなり隔たりがあり、色んな予期せぬ事態を招いてしまった。

2日連続でした初日は、3人態勢だったのでドーナツ揚げ立てが美味しいから揚げながらでも出来るやろうと考えたのが甘い考えだった。

8時オープンからすでにお客さんのドーナツ待ちが居て、一発目が揚がるのは8時30分頃だったのでいきなり待たせてしまった。しかも店内飲食のお客さんも一気に重なりいきなりドーナツ祭りが始まった。一日100個程作ったんだけど、揚げた瞬間飛ぶようになくなっていった。2日目は妻と2人営業だったので、先に100個作る作戦に変更した。

当たり前だけどドーナツ以外の仕込みもある。買い出しも込みで考えたら徹夜は決定。土曜日の夜に何も出来てない時にヤバいモードになり買い出しの時に道に迷う。いつも行ってるスーパーなのに道が分からなくなりナビに連れて行ってもらう。一生通らんやろなみたいな細い路地裏走らされて音楽ガンガンかけてたら、なんか無敵みたいなってヤバかった。結局朝方の5時までかかってなんとかパンは焼き上げた。

小一時間寝てすぐまた2ラウンドのゴング頭の中で鳴ってスタート。僕がホールで、妻が厨房の人事なんだけど、僕が不慣れなポジションなんでテンパりながらの接客になった。
言い方失礼だけど、押し寄せる飲食軍とドーナツ軍の二重の待ち行列が出来て、最前列の一兵卒の僕としては命がいくらあっても足らない状況で、もう無理だと感じたので妻に「チェンジしてくれんやろか?」と問うたら「やだ」って返されもう頭クラクラ。たまに白目になりながら押し寄せるお客様を捌いた。

100個でも全然足らんやんけ、玉砕やんけ、半泣き寝不足呂律も回らんくなった時に覚醒しだして、全く疲れを感じないモードに突入した。 やるだけの事はやったんや、俺たち播磨イチ頑張っとんや、とか自分に酔うて上から目線でイキってる瞬間あった。

自分でやらかした事、全部自分のせいでぐっちゃぐちゃぐちゃになったけど、終わってみれば楽しかった。阿保な事をやり切った充実感が残った。

10年後また、次は20円ドーナツなんだろか、てかお店があるのかわかんないけど、またその時阿呆なことすると思います。仏教のお布施とはほど遠い自我が揺れまくる結果になりました。ひとり反省会おわり。

孔雀の絵の話

小学1年か2年かの頃、初めて満足度MAXの絵を描いたことを憶えている。学校に提出用のポスターだったと思うけど、「孔雀」を描いた。子供ながら頭に浮かんだ孔雀は羽のひとつひとつの模様が綺麗なグラデーションになっていて、それが数えきれないくらい広がっていた。頭に浮かんでしまったのだけど、実際に自分自身が描ける自信が無くて、その自分の発想に震えてビビった。母親に相談したら、描きなさい、と言われたので描き始めたはいいが、羽の枚数を果てしなく描いてしまい、深夜になっても全然完成しなかった。間に合わないし完成する気がしなくて、僕は泣きながら描いた。母親がそれを見て、すごくいいから頑張って!みたいな言葉は忘れたけど、兎に角励ましてくれてたのは覚えてる。
明け方までかかってボロボロに泣きもって完成した絵は、孔雀がワッサーって羽をMAXに広げてて、顔は横向きドヤ顔、背景は真っ黄っ黄だったと思う。僕は生まれて初めて本気を出した。その絵はたしか大賞になり、家に帰って来なかった。記憶が曖昧だけど多分そんな感じ。僕、お勉強もスポーツも出来ない鈍間くんで(今も)、そんな経験した事無かったから、今でも鮮明に覚えてる。あの時描いた孔雀の絵が最高傑作で、未だにあれを超える作品は出来ていない。作品って絵に限らず、料理、音楽、なんでもいいんだけど、自分が考えて作る物のことです。イメージが湧いて、その通りにする技術がなかったり、イメージが弱かったり、殆どがボツ作だらけ。。

お店を始めて10年が経つ。どんどん先のイメージ膨らませたくて、過去振り返ってウダウダするのがアホらしくて、あの時の孔雀を超えていく何かを見つけたい欲が増している。隣りの芝は青く見えるし、人間関係面倒くさなるし、人と比べてしまえば落ち込んでる。水木しげるが言うようなことが何となく分かる年頃になったようで、好きなことに没頭してる時は幸福なんやな、とか、ふと思う。

えー何がいいたいのかと言いますと、最高傑作はまだ出来てないから気長にお待ちください?てことか。何か変だけど今はこんな気分です。よろしく。

美味しいパンが焼けますように

不眠症で眠りも浅く、毎日眉間にシワを寄せて苦しそうに寝てるらしく、妻が寝てる僕の眉間のシワを指で伸ばしたことがあるらしく、それでも全然直らなかったそうで。3年周期くらいにうつの波が来るみたいで、最近また怪しいあいつが忍びよってる気配がしたんで、何か先手を打とうと思った。
心療内科通って眠剤もらおうかなとも考えたんだけど、新しい人と関わるのも億劫でやめた。薬屋に置いてる漢方薬を試しに飲んでみようと買ってみた。「ストレスでイライラして不眠の方」ってタイトル発見して、あ、これ全部当てはまると思ったので。いざ飲み出すと、確かにイライラしなくなった。だけど、直ぐに眠れる日もあれば、今日みたく眠れずブログ書いたりする日もある。
それにしても、イライラは少なくなったし、眠ってしまえばリラックスしてるみたいで、寝起き身体が軽い。こんなこと何年振りか、いつも起きると身体中バッキバキで、テンション低く、なかなか起き上がれないこともしょっちゅうやったのにねー。

ただ、不完全燃焼な感じがしてて、アドレナリンとかドーパミンがは見出しでない感じが物足りなさかなぁと感じる。仕事中も、オーダーが立て込んで大ピンチでも脳内は冷めてて、ロボットのような心で作業をする。そのことはお店にとっては良いことみたいで、前より仕事が丁寧で
淡々とはかどってる。スタッフにも優しくなれてる。
周りがむっちゃ慌ててたり焦ったり急いでるのに自分だけが呑気に働いてる。うまく言えないけど、周りの慌ただしさがスローに見える、とでも言うべきか。

そんな精神状態の中、やっと1年前から取り掛かって放ったらかしにしてた「グリーンラバーズのうた」の再発盤が完成した。前のは2曲入りで2曲とも、てくらがり演奏やったんだけど、今回のは4曲入りにした。僕バージョンのうたが2曲追加になりました。最後に入ってる曲のタイトルが「美味しいパンが焼けますように」なんだけど、その歌詞がむっちゃキザっていうか、クサイというか、スピードワゴンの小沢さんがいいそうな歌詞で恥ずかしい。
恥ずかしいし胡散臭いから普段はお客さんらには絶対言わないけど、うたの中で全部晒してみようと実験的に作った。甘〜い言葉を淡々と下手くそが歌ってるだけなんだけど、自分で聴いてみて良い歌だなぁて感じた。キザだけど本心だしなぁ。。例えば、妻や彼女に愛してるよん、とか言うのダサいかもだけど、なんかいいよねーみたいな。

ま、やっとこさ出来上がったCDなんで、興味ある方買ってください。
因みにCDRのラベルは1個ずつ全部手書きイラストで在庫切れたらその都度描く図中発注形式です。すみませんよろしくお願いします。

歌詞↓

美味しいパンが焼けますように
早起きした甲斐ありますように
誰かの悲しみ癒えますように
あなたが笑顔になりますように
美味しいパンが焼けますように

ラジオ深夜便聞きながら捏ねる
誰かの悩みを最後まで聞いて
昨日までの誤ちに気付いたり
粉にまみれて朝日が射す頃に
美味しいパンが焼けますように

ネットvs現実 最終話

朝目覚めてスマホ見たらグーグルのクチコミ通知が届いていた。やな予感がしたんだけど、開けて見たら最低評価で、批判的な内容だった。
その日のクチコミは「顎マスクでずっと喋りながら盛り付けしていて不衛生」とのこと。朝からため息ついて落ち込みながら店へ向かった。
「ずっと」てのが頭にこびりついて離れない。たまたま味見して戻し忘れたのか、とか、ずっと?ずっとなわけない、とか、お客さん側は食後にマスクせずに長時間談笑してるのはオッケーで、店側はちょっと顎マスクしただけでネットで書かれる、とか、頭の中に言い訳ばかりが思い巡った。悔しくて情けないやら、ムカつくやら、気持ちがガサガサした。

直接クレーム受ける方があと腐れなくていい。その場で謝罪なり対応出来る。けど、ネットクチコミに対してわざわざこちらから謝罪する必要があるのか?確かに100対0で僕に非があるんだけど、こっちが頼んでないページに勝手にボロカス書かれて、勝手に通知して来て、そこまでしてお客さん達と交流せなあかんのかよ?ふざけんな、うっせーわ、。誰に対してキレてるのか分からないけど、現実では何も起こってないのに、ネットの隅っこで勝手に評価されてあーだこーだ言われ、それをこっちも勝手に見て勝手に傷ついて、こんなの何のためにあるんだ、病み子になるだけだから、距離を取ろう。

美味しかった!や、ボリューム満点!満足や、パンがふわふわ、や、そんな高評価の書き込みもたくさんあるんだけど、そういうの見てもウキウキしない。それなのに、たまにくる酷評ばかり気にして落ち込んでる。よく勝負ごとや、人生相談のアドバイスで、「切り替えて」てのがあるけど、僕には無意味に聞こえる。この悔しさとか、自分のダサさとか、怒りとか、そんな容易く片付けられてたまるか。重く受け止めて、一生忘れずに苦悩しながら明日も明後日も歯を食いしばりながら働くんじゃボケ。コロナが収束してもマスクしたんねんボケ、ああ悔しい、悔しくて眠れん、クソ!。。

そんなことでいちいちくよくよしながらちょっとずつちょっとずつ、毎日同じことを繰り返しながら、いびつで頑丈な心を鍛えてやる。10年20年30年経った時に、筋金入りの頑固じじいになり、老害扱いされ、誰にも真似出来ない哀愁漂う老舗で、ぶつぶつ意味不明な事いい、それにしてもなんだか魅力が滲み出てるような、そんな店にしたい。悔しさをバネに、ますます意気込む今日この頃だ。

ネットvs現実 第四話

スマホの向こう側の顔の見えない誰かさんのいいねより、わざわざわかりにくい所を探して来てくださった、目の前のお客さんの「あー美味しかった」がほしい。いやうそ、スマホの向こう側の誰かさんからのいいねもいっぱいほしいさ、人間だもの。まー結局はどっちも大切ちゅう事でした。今回は現実話を少々します。

ずっと料理ばかりで厨房にこもってると頭がおかしくなりそうなので、たまにホール作業をするようにしてる。その時の僕はウエイターつうよりウエイトレス気分で、バイトさんらからは「ミノコ」と呼ばれている。(本名はミノル)
ミノコたまにしかホールしないから、ちょいドジっ子だし、対人恐怖症気味だから人の目を見て話しするとドギマギしちゃう。だけど、本当はお客さんむっちゃ好きで、ミノコ的にはコロナなかったら全員ハグしたい気持ち。いやうそ、ハグは流石にしない。感謝してることちゃんと伝えたいので、接客時はなるべく目を見て話ししようとか、なるべく優し〜い返事しようとか、ミノコなりにあがいてるつもり。

レジにて。お会計〇〇円です、とお伝えした時に、女性2人組のひとりの方が「1万円しかないー、細かいのないー、めっちゃうざい客やんー」と小声で言うてたの聞こえたので、勇気を振り絞り、目を見て、「全然うざくないですよ!」って応えたらプチ笑いしてくれて嬉しかったり。

レジにて。3人家族のお会計時、むきむきマッチョなパパさんが腰低い感じで「チョコバナナシフォン、ってランチセットに書いてたんですが、バナナ乗ってなかったんすけど、、」とご指摘され、慌てふためき「すみませーん!」を連発するしか能がなかった。お釣りを返す瞬間に50円バックしよかな、いやそんなせこいことしたら逆に怒らせるかな、て、あわわあわわしてるうちに、お客さんは残念そうに帰ってしまった。ムッキムキやったし、低姿勢で紳士的やったし、ミノコの完敗だった。(ほんますんませんでした)

注文時にて。メニューを説明しようとメニュー表を手に取ろうとしたら見えない角度で、お客さん(若い女の子)の細い手をいやらしい感じで触ってしまい、「すみませーん!」連発する僕に対し手を隠すお方。その方注文した料理あまり食してなかったので、僕が手を触ってきも悪すぎて食欲失せたんやろか、と被害妄想に落ちいり、ため息ひとつ。。

現実って生の感じ、何が起こるか分からない、やっぱりこの生の感じ、良いなー。対人はやっぱ疲れ方が精神に来る。大量にパン焼くほうがある意味楽だわ。

つづく

ネットvs現実 第三話

1日のスマホを触ってる時間を1時間くらいに抑えれるようになってきた。なるべく必要な時だけ開くように心がけてたら、日に日にあまり気にならなくなり、ガラケー時代のただの携帯電話みたいになっていた。

最近、レンタルビデオ屋で「北の国から」をドラマから鑑賞するのにハマっている。休みの日は2本観たりして泣いている。あの世界ってスマホどころか、電気も水道もない極寒の生活で生き抜く、人間の辛さとかたくましさとかもろさとか、一言で言えない魅力が詰まってる。毎回泣いてまう。
たしか、純がちょうど中3の頃の回、初恋、だったと思うけど、大昔見た時は純目線だったのに、今見たら五郎さん目線にすり替わってた。
希薄になってるお父さんに純が「昔はなんでも挑戦してたじゃないか!」みたいなシーンがあるんだけど、僕の息子も丁度中3で、僕自身も五郎さんみたいに希薄になってるようで、そのセリフが胸に刺さった。出来ない言い訳ばっか並べてる。しんどいしんどいばっかで、愚痴っぽくなってる。他者への労りとか、ねぎらいとか、忘れかけていた。

という感じで、ドラマ観てはしょっちゅう泣いてるんだけど、最近思うのは、涙もおしっこや汗と同じだなぁということ。おしっこや汗は身体的に排出しないといけなくて、出さないと身体を壊す。涙は精神的な排出物で、これも同じく、出さないと心を壊す。身体と心は別のようで同じで、お互いを見つめ合いなかがら 二人三期で自分の調子を支えているわけ。。身体を壊すと心も病む、心を病めば身体を壊す。そういうものだし。

疲れたら休めばいい。ただ疲れる事にびびって自分を抑制しながらダラダラ過ごしてると、何も成し遂げれなくなって来てる気がする。疲れるまでは走れよっていうか、。

ブログなんかで宣言するのダセーから行動しようと思う。あと、五郎さん(田中邦衛)が歌う、長渕剛の「やるならいましかねぇ」ってサビ、最高でした。

つづく

ネットvs現実 第二話

スマホの使ってる時間割が分かる表あるでしょ?あれ見ていつもやな気分になるんです。スマホを見てる時間が4時間とかマジかよって思うけど、スマホと僕どっちが優秀かっつったら100パースマホなんでマジなんだろう。つい通知が来ると見てしまうし、通知が来なくても通知待ちでヒマでもないのにスマホに手が伸びる。前に誰かのツイートで「ツイッターしてる場合ではない時にこそツイッターしてる」てのを見て、わーほんまほんまって納得させられた事があった。本当に有意義な情報を得てるのって1年のうち数回だ。そんなことわかっててチロチロタイムライン見たりして時間を潰している。タバコを止めた時と似た感情が少し湧いた。
インターネット止めよう。

慣れ親しんだものに急に飽きたり、ハマってた趣味が急につまらなく感じたり、可愛いなって好意持ってた人がブスに見えたり、僕という人間はいい加減な半端者なとこが昔からある。詰まってしまう事が、つまらない?合ってるのかな?丁度いい感じになるとぶっ壊したくなる。不安だから安心したいんだけど、いざちょっと安心するともう1人の僕が、「お前、不安定の方が好きなくせに」と囁いてくる。嗚呼、なんて面倒臭い性格なのか、バカバカバカ!そして静かに自ら後退してしまう自分がいる。

スマホ依存症を断ち切り、僕は僕のしたい事(というかお仕事)に昇進しようと決めた(という決意をそのスマホでしてる矛盾)。アレとコレがごっちゃになって訳がわからない。

つづく

ネットVS現実 第一話

SNSの一切を断ち切ろうと「諸事情によりSNSをしばらく削除します」とSNS上でお知らせをした。諸事情って何と曖昧な言い回しなのか、結局のところ言いたくないことやから訊かんといてな、的なずるい言い回しだな。

昔はアホな頭で文章考えて手紙を書いたり、電話番号を苦労して手に入れて勇気振り絞り好きなあのこに電話かけて声が聴こえたら慌てて切ったり、なんと不便で時間のかかることばっかりを繰り返してたのだろうか、と思う。今の時代、電話番号なんか知らないのが当たり前で、誰やねんおまえ、的な人達ともじゃんじゃん繋がり放題で余裕で連絡が出来ちゃう。それにしてもおやつはカールじゃないけど、それにしても現実は地味で関わってる人も2〜3人で、都会人の人脈やテレビドラマのような入り組んだ人間関係、三角とか四角とか知らんけど、こんがらがった図式にはほど遠い。自分、妻、子、スタッフ、客、たまにおかん、以上。すごくシンプルだ。ネット社会が、原哲夫の北斗の拳なら、現実の人間関係なんかへのへのもへじみたいにかんちくりん。そのギャップというか、嘘と本当というか、ふたつの世界に対して、僕は多分滅入ってしまったんだと思う。ちょっと説明が長くなるので分けてみようと思う。第一話はこの辺でやめておきます。