Blog

休日

休日

休日でも色々とやることあって営業日に出来ないことをやってしまう。 休みないやんって言われることありますが、休日は沢山寝れるし、営業日でも適当に疲れたら休むようにしてるんで以前よりは楽にしてます。お気遣いありがとうございます。

今日は午前中、買い出しに行って、ナフコで木を買って看板作り。店でお昼ご飯を食べて、TSUTAYA行って帰って来てから、続きの看板作り終わらせて帰宅。店で作業してる時に注文してたCDが届いたので、家で聞いてたら途中で寝てしまい起きたら夜中。今ここ。

仕事とプライベートがごちゃ混ぜになってどこからが仕事でどこからが遊びなのかもう分からなくなってる。お金を稼ぐ日と使う日と分かれてるだけで毎日同じ作業の繰り返し。やりたい事しかやってないので毎日楽しい。楽しむことは楽じゃないって誰かが言ってたけど、多分こういうことだと納得してる。やりたい事だけで生活してるから、お金儲け下手くそだけど、あまりストレスも溜まらない。だから僕、店辞めたくないのなあ。どっかに勤めて、店長とかに偉そうに言われたり、人間関係でギクシャクしたり、想像しただけでもゾッとするわ。お勤め人になれないから自営業してるってとこあるなぁ。。

本当、人との交流が希薄になってしまい、駄目だなぁって思う。コロナ怖いけど、自粛ばかりしてると頭おかしくなりますので、ちゃんと人ともお喋りしたり、人間以外の生き物や、自然に触れたりしないと若くてもボケてまいます。今朝、庭に花植えた時に、土触ったり、虫見つけたりしただけでも癒された。インプットとアウトプット、バランス良くしたいもんですねぇ。おやすみなさい。

渚にて

渚にて

今年はコロナで自粛気味になり、映画を観るようになった。10代の頃は毎週のようにレンタルして何かしら観てたんだけど、仕事しだしてからはあまり見なくなってた。最近また映画熱が来てるんで映画のお話しを。

とは言え、好きな映画も山のようにあるので今さっき観た映画の感想で頭がいっぱいなんでその映画からです。
スタンリー・クレイマー監督「渚にて」1959年の作品です。
モノクロ映画でSFなんで時代設定が1964年で、現代との時空が離れすぎていて時代劇のようだなぁと、思いながら見始めたたんだけど、これは確かに壮大なSF映画だった。

第三次世界大戦後の世界が放射能に包まれて人類滅亡に向かう様子が、暗くて地味に淡々と映ってる。ネタバレすんません。。
数ヶ月後には全員死ぬって絶望的な状況なのに、儚く切ない美しさみたいなものが画面からじんわり出ていて良い映画だった。軽々しく批評してるっぽいけど、僕の感覚と文章力がへぼいだけですので悪しからず。

大袈裟かもだけど、今コロナ禍の中にも共通点あるなぁって思える。
映画は核戦争の失敗をモチーフにしてるんでちょっと違うけど、全体的などうしようも無さって絶望感が似てる。
本当のこと言うと白けるので、皆薄々気がつきつつ。
楽しんでるふりを精一杯してる。
僕、根暗だから普段からじとーって絶望してるんだけど、長いこと続いてしまうとその絶望にすら慣れちゃって、虚無感に包まれて殆どアホらしく思うてしまうんすよね、。
それでも家族とか友だちとか恋人とか、夢とか、大切な人や物と共に淡々と終盤になっていく。
もしあと1ヶ月で滅亡するとしたら何しますか?
僕、多分いつもと変わらずお店営業してるだろなぁ。
いらっしゃいませとか、ありがとうございますとか、言いたいよなぁ。
わかんないけど。

またたまに映画の話も書いてみます、おやすみなさい。

マスオさん

「マスオさん」

今日は駄目日だった。自分を抑制出来なくなってしまい、頭に血が昇ってしまった。嗚呼、なんとおバカなんだろうか、人のミスにイラつくって本当器量が小さい男だなぁと思う。タイミング悪いことが重なるのって多分、自分自身が招いてるんだろな。たかが2〜3人のチームで人を使えないって、どんだけ自己中なんだ。今日はひとり反省会しながらコアラのマーチ食べながらサザエさん見て寝よう。サザエさん見てたら今まで気にも留めなかったマスオさんが、妙に気になり出して、え、え、マスオさん好きかも、え、優しくてさりげなくて、愛妻家で、え、かっこいい、いやむっちゃ好きマスオ、てか波平すぐ怒るし、人としてどうなんだ、むしろマスオだろ、マスオ万歳!マスオさんの回もっと増やしてほしい!マスオ!マスオ!マスオ!。。。

多分自暴自棄になってクタクタになってた僕のハートをマスオがぎゅっと優しく抱きしめてくれたんだと思う。マスオは問い詰めたりしない。怒ったりしない。うう、なんて優しい男なんだ、それに比べて俺ときたら、ちょっとのミスを上げ足とってイライラして、小さな男だ、消えてしまいたい、うう、マスオ最高すぎる、マスオ、マスオって呼んでいいかい?マスオ、友だちになってくれよ、なぁマスオ、今晩飲みに行かねぇか、あなご君が羨ましい、うう、。。。なんかそんな気分。
いつもマイマスオを胸に刻んで生きよう。。おやすみマスオ

レシピ

「レシピ」

人と交流無さすぎて無人島で暮らしてるみたいで、今の自分って社会的にピントあってるんだろか?と少し不安になり、ブログ毎日書いてみようと思い夜な夜な考え事を綴ってます。

お店の料理は殆ど手作りで僕が考えたレシピを元に毎日こっさえています。せっかくだから挙げてみよかな。パン、コーヒー、ハンバーグ、アーモンドバター、ドレッシング、ランチ小鉢、ガムシロップ、ランチ料理、パンケーキ、などなど。兎に角毎日毎時間何かしら作ってる。わざわざ作らんでも買って来たらいいやんってしんどい時は思うけど、思うだけで昔から殆ど変わらず手作りのお店。コスパ悪いし、いつまでこんな要領悪い事するんだろうか、と思うけど、買って来たやつをチンして出しても喜びが得られないから、なんかいちいち面倒くさいことやり続けてしまってる。
専門店みたいに売るもの絞ってそればっかり作るのって大変だと思う。なんというか飽きるし、だれるし、僕はたったひとつのことをやり続ける硬派な人間ではないように思う。
あれもこれもしたい。前に勤めてたお店は、パンは冷凍生地使ってて、クロワッサンもあらかじめ丸めてあって、ただ並べて発酵させて焼くだけだった。すごい楽ちんなんだけど、お客さんから「ここのクロワッサン美味しいわねぇ~」と声かけられても、はあ、ただ並べて焼くだけなんですけど、って胸の内でもやもやしてた。自分が作ったクロワッサンだと、美味しいって言われたら、やったぜ!って思えるから、多分僕は自己満足したくて手作りしてるんだと思う。褒められたいだけだと思う。

自分レシピを作るのって味の記憶を探り当てる作業で、ネットで引っ張り出したクックパッド師匠のレシピを丸パクリするんでなくて、色々と食材とか手順を参考にしながら、最終的に自分の記憶の中の美味しいに寄せて行く事だ。子どもの頃に食べたクリームパンとか、ハンバーグとか、忘れられない味ってあって、出来上がる瞬間って確かに感じ。
そのレシピ作りのメモむっちゃ走り書きで汚ねぇけど、大事にとってある。レシピ本も見て作るけど、そのレシピは所詮人様の記憶のレシピなんで、参考にはするけど、信じていない。卵1個だって大きさや味変わるし、書いてる通りに作ったら全然美味しくないことだってある。だからちゃんと味見しながら自分の舌で確かめないといけないと思う。だから自分のコンディションを良くしておかないと美味しい料理って作れない。偉そうだな、オレ。でも料理は愛情って本当の話しだよ。おやすみなさい。

フレンド

「フレンド」

息子がフォートナイトっていうゲームにハマってて、友だちと遠隔で喋りながらズキュンズキュンしてるのを見て、「友だちとしてるの?」て何気なく訊いたら「フレンドな」と応えられて、目が点になった。
ゲーム内で繋がってる会ったこともない人がいるらしく、そのゲーム内でのフレンドらしい。SNSとかの「ともだち」「フォロワー」みたいなもんかな〜。
コロナ禍ってこともあるし、今どきの子は遠隔で遊んだり、時代を感じる。僕、フレンドってピンと来ないんよなぁ。ネットだけで繋がってる関係って未だに半信半疑なとこある。フェイスブックは知らない人から友達申請来たら怖いから削除してます。ツイッターやインスタグラムはフォローあれば気まぐれでフォロー返したりします。ルールが良くわかってないっていうか、だからなんなのさって思う。自分が好きな作家やアーティストやミュージシャンをフォローするのは分かるけど、見ず知らずの人をフォローする意図が分からない。フォロワー増やしたいだけの人ってどういう精神状態なのか納得出来ない。フォローされたからフォロー返したらフォロー外されたり、お前俺の事なんや思うとんねんってやつも居ますよねぇ。あれヤダわ。昔ツイッターでボブディランのこと呟いたらボブディランフリークみたいな人から熱烈なメッセージ来てフォロー返したら、数日後ブロックされてたり。俺はじめから全然ボブディランフリークじゃないのにいきなりビンタして去って行く感じ。
フォロワーだのフレンドだの、ほんま変な時代が来てしまったわ。だけど、意気投合したり、な、めっちゃこの人趣味合う、ってことも稀にあって、悪いことばかりでもないのだけど。
友だちって、趣味とか考え方、イデオロギーが違えど、友だちは友だちだよ。昔から古い付き合いの友だちとかたくさんケンカしても友だちのままだよ。てかこいつええわってなったら大概のことどうでもよくて、楽しいな、気が合うな、ただそれだけだし。というようなこと思うてる僕ですが、良ければお店のこと、フォローしてみてくださいね。浅い付き合いで良いのでー。

バイトさん

「バイトさん」

求人をずっと前から出してるんだけど、入っては辞め入っては辞めでなかなか長続きしない。何でかな?そんなに僕へんこでしょうか?僕が原因なのは分かりますが、何を直したらいいか分からない。こんなとこで愚痴っても読む人からしたら鬱陶しいかもだけど、今回のブログからもうあんまし人のこと気にせず「独り言」をポツポツしゃべるところにしようと思う。つまんないとかつまってるとか、どうでもいい感じで、ポツポツ、。

オープン当初は確かに間違いだらけで、バイトさんに対してキツく当たっていたし、酷い店主やった。当時のバイトさん達すみませんでした。僕阿保でした。なんせ偉そうっていうか、余裕が全く無いから、直ぐキレたりしてた。
今は殆どキレたりしない。やっとこさ自分をコントロール出来るようになってきた。結局色々と求めすぎてたんだと思う。僕、考えるな感じろ!いや、考えろ!みたいな修造チックな部分があって、バイトさん多分「はぁ〜〜!?」ってなってたと思う。あの感じ説明難しいんだけど、自分の中では何の矛盾もなくて、その矛盾が円く収まってる。しかしながら、そもそもバイトさんは超能力者ではないし、僕との結婚生活がスタートする覚悟で働いてるわけではないので、言葉で説明出来ないような幻のような思想を押し付けたらあかんと、気がついたわけです。

最近方向性を変えて、「絶対やって欲しくないこと」を教えて、それさえクリアしてたらオッケーというスタイルにしてる。これは凄い発見で、絶対やってはいけないことさえクリアしてたら、未経験者のバイトさんでも何となく出来てる風にはなる。その出来てる風を許してあげて、勘違いでも良い、気持ちよ〜く働けるように褒めて褒めてあげる。
そんな風にしたいんだけど、たまに地雷踏みよるやつおって、絶対やってはいけないことをサクっとやってしまうやつがおる。その瞬間、ダークサイドのもうひとりの僕がふつふつとやって来て暴言を吐いてしまう。気がついたら我に帰り、嗚呼、また、やってしまった、と最低最悪な自己嫌悪に堕ちる。
何があってもそのダークサイドのオレ様を眠りから起こしてはいけない。あいつは全てを一瞬でぶち壊す、頭のおかしいやつだ。そっとしておきたい。
僕が今心掛けてることは、無理しない、ってこと。ちゃんと睡眠をとる、とか、しんどくなったら頑張らずに横になる、とか。あと、元々お酒弱いから飲まないようにしてる。たまーに呑むことあるけど、缶ビール1本だけで止めて寝る。自営業って、自己管理が仕事だとつくづく思う。だから今は穏やかな一日が増えた。

つーことなんで、どなたか働きに来ませんか?優しくしますよー。

拝啓 お客さん

「夢うつつ」

前に働いてたお店の上司に「お客様をお客さんと呼ぶ店は潰れる」と聞いた事がある。「おもてなし精神」の事を「ホスピタリティ」と呼ぶ事とか。そう習ったんで僕もお客様と呼んでいたんだけど、僕にとって何となく違和感があって、自分で店するようになってからは「お客さん」と呼んでいる。何てことないことなんだけど、後々に重要だと思うようになった。

とにかくコロナの影響が凄くて色々と気付かされた。コロナ前までのお店とコロナ後のお店とカラーが変わったように思う。以前はカラフルで毎日ドンパチ花火上げたい欲が強く、お客さんが驚くことを企画したり、新メニューや、イベントしたり、毎月目新しい事をしたかった。
100%お客さんが欲しがるものを提供しなきゃって、自分の身の丈に合わなくても背伸びしながらチャレンジしたかった。というか、今思えば、チャレンジし続けないと不安で、チャレンジしてる自分に酔うてたように思う。派手なホームランをいつも狙っていた。たまにまぐれで打ててしまうから勘違いしたんだと思う。
いつもMAX歯を食い縛りながらしてたんで、忙しい時はオラオラ系でスタッフを押し除けてしていた。そんなんだから急に身体壊したり、パン切らしたり、店閉めたり、鬱になったり、浮き沈みの激しかったりしたんだろうなぁ。

コロナ自粛を経て、先ず自分を大切にしようと決めた。派手な企画やセールは止めて、出来ることを確実に、浮き沈みを失くそうと決めた。コロナ後のお店は、以前よりつまらないお店になったと感じたお客さんもいるだろう。僕自身が背伸びせずに等身大で働いてるせいだと思う。以前の無理したトリッキーな企画は全くしない。コロナ対策として、換気とアルコール消毒は当たり前だけど、料理提供後1時間で退店のお願いもしだした。以前までなら考えられないお願いだと思う。なんせ100%お客さんありきで無理して営業してたんだから。
コロナ対策として意味があるのか微妙だけど、このご時世、飲食店が軒並み閉店していく悲惨な時代に、僕は回転率を上げてお店を存続させることを最優先で考えた。お客さんを大切にするあまり全てをお客さん主導で営業してるとお店が潰れてしまう。お客さんを大切したいなら先ず、生き残らないといけない。美味しいパンが焼けますようにと、毎日願えるのもお店あってのことです。

僕は普通の人だし、ド凡人なんです。ホームランバッターじゃないし、話もたいして面白くないです。だけど、そこそこ美味しいパンが焼けます。高級パンとか焼かないけど、普通にまぁまぁ美味しいパンは焼けます。そのまぁまぁのパンは劇的に泣ける程美味しいわけじゃないけど、なんかくせになるような、また食べたいと思わせるパンです。僕は今この普通の何も起こらない感じの店が自分にピッタリフィットしています。おもんないでしょ?こんなブログ。せやけど、これが今んとこ1番心地よいんです。以前のトリッキーなお店を期待しているお客さんたちは離れてしまった。最近はひとりでふらっと来店されるお客さんが増えた。どちらに優劣をつけるとかではないのだ。自分を大切にしたいんです。なんか恥ずかしいのでこの辺で終わります。僕はお客さんが好きです。

夢うつつ

「夢うつつ」

①新メニュー

2週間も休業してしまった。緊急事態宣言が解除された後から「営業してますか?」や「テイクアウトお願いします」と注文の電話が多くなり、その都度「6月からです。申し訳ないです」と応える。ああ、僕は営業再開してちゃんとパンが焼けるやろか?オーダー、ささっと作れるやろか?お客さん来てくれんねやろか?と、多少不安を抱きながら過ごした。何か突拍子のないメニューをあみ出して、加古川人をあっ!と驚かしたいといつも企んでいる。
いよいよ営業再開初日を迎えたんだけど、しっかり準備したのに、新メニューのせいで全てが台無しになった。嫁さんと2人で店を開けたんだけど、まるで追いつかない。テイクアウトの新メニューがジャンジャン注文入った。その新メニューとは、漆黒の弁当箱でタタミ一畳分のデカさがあるため、せっかく大量に料理仕込んでたのに速攻で底がついてしまうというびっくり弁当だった。6畳分くらい厨房に一気に並べて中華鍋振り回しながら嫁さんに大声で「おおおおお!!」て叫びながら漆黒の弁当箱に打ち込む。
嫁さんも気合い入りまくりで「はい!!」とか叫びながら顔面汗まみれで凄い。直ぐに食材尽きてしまて何も作れないのに注文は溜まる一方だ。タタミ1畳に弁当箱がスカスカで流石に蓋してオッケーてならない。そのスカスカの枠の小さい方に嫁さんが突っ立っていて、凄く辛そうに僕からの指示を待っていた。僕はデカいしゃもじを持ってたけど、すくう食材が何もなくて立ち尽くした。絶対絶命の状況だったけど、タタミ4畳分くらいは仕上げてさばいたことに対しては自画自賛していたときに夢から醒めてゲー!てなった。

②理科の実験

やっと学校が始まった。息子が中学2年なんだけど、いきなりテストやらなんやら大変そうだった。授業はどんな感じなん?て訊いたら、ボソッと「理科の実験ばっか」やと。
は?なんじゃそらって聞き流してたんだけど、毎日同じように理科しかなくて、しかも実験をしてるという。流石に学校側とち狂ってるって思うたんで、抗議の電話を入れた。
「大切な実験なので外せないんですよーお父さん」みたいに仕事の出来ない風のセンコーがもぞもぞ喋るからイライラしてしまって、「一体なんの実験がそんなに大事やねん!コロナ自粛明けや!」て強めに言うたら、「爪楊枝実験っす」て言われた。
毎日毎日爪楊枝の実験して一体なにかが見つかってガッツポーズしたり一体感がクラスで起きるのか?バカか!ってパニックになった。それでも「爪楊枝実験」大切みたいでずっとやってる。なんかだんだん可愛く思えてきて面白いな、とか、へーいいじゃん、とか、感覚が麻痺して来てちょっとだけ応援しだす。いやいやそれにしてもおかしくないっすか?と訴えて、学校に行って再度抗議した。
「爪楊枝はな、刺したらチクチクする、それで終いやんか」とソファーで寝ながらはっきり喋ってしまい、息子が「はあ??」と言うので、「いや、だ、か、ら、刺したらチクチクするって」と応えた。応えてる途中にこれは夢だ!と気付いたが、最後まで言い切ってやった。

◎休業中にみた印象に残ってる夢の話でした。明日から営業なんで夜更かし控えめで備えます。

草引き

「草引き」

休業4日目。今日は外で草引きをすると決めていた。駐車場のタイルとタイルの間から太陽に向かって伸びる雑草を抜く。
僕、草引き嫌いじゃなくて、炎天下じゃなかったらどっちか言うと好きな方。
黙々とひとつ抜いてはまた隣抜いての繰り返しがなんか落ち着くんですよね。因みに根っこから引っこ抜くのは、「除草」で、草がちぎれてるだけのは「草引き」って、高校の時造園科で習ったこと覚えてる。
久しぶりに外仕事して頭クラクラしてしまったんで、途中店内で横になって休んだ。
少し休んだらまた外出て草引きをした。
体が太陽の光に驚きながら喜んでいる感じがして、汗かいて、その汗が土に染みていくのを見て、あーおれ今地球と戯れてるなーとか思い、ただの駐車場の草引きなのに、大自然に感謝だよー、とか大袈裟に思ってみた。

花壇にワイヤープランツを植えてたんだけど、雑草と混じるし垣根に絡まりついてわさわさになりすぎてたんで、全部抜いて新しい土入れようと決めた。
でかいショベルで穴掘りながらなんとか引っこ抜いた。
汗だくになり、長い時間格闘してたら、また頭クラクラして来て、ワイヤープランツが自分の心にまとわりつくしがらみや、疲労感のように思えて、これは目に見える毒素だ、負けてたまるか!てな感じで頑張った。

建物横の実がなる木と、ゴールドなんとかの木がぼうぼうに散らかってたんで、その木二本も刈り込み入れた。
切る時の音が気持ち良くて楽しい。ザクザクが止まらないよーてな感じで頑張った。
木たちも喜んでいる感じがした。その切った木に雀が停まりに来て嬉しかって、うおおおお大自然最高!!てなる。
てんとう虫、毛虫、ミミズ、まる虫、なんかの幼虫、皆んな皆んな生きてるんだ、友だちなーんーだーをリアルに体現して心地良い疲れを感じた。

頭クラクラする。普段厨房にこもりながら、狭い世界で働いてるから、あまりわからなかったけど、太陽てやっぱり凄いなあ、人も光合成しないとなあ、なんて思いました。

なんかアホっぽい文章ですみません。今日はおしまいです。

「キレる子キレない子」

「キレる子キレない子」

最近の子はカルシウム不足ですぐキレて何するかわからんって、ひと昔前に言うてる人いたな。僕らの世代はまだ根性とか熱血漢とかがまだ理不尽にまかり通ってた時代だったけど、先生や上司が怒鳴っただけで、やれパワハラや、て、それはそれで良い時代になったなーと思うんだけど、余りにも過敏になりすぎるとしんどい。僕、仕事してるときは妻から怖いとか言われるんで、厳しめなんだと思います。だけど、言い訳すると、集中してパワーアップしてる時なんで、そんな時はオラオラ系のスパルタ系になっちゃってしまうんですよね、気をつけます。

直ぐキレるんも怖いし、あまり近寄りたくない感じなんだけど、逆に全然キレない子も不気味やないですか?なんか、無感情無関心無表情の子が「おとなしくてエライねぇ」とか褒められてるん見たらゾッとする。いやいやゾンビですやん、とか思ってしまう。あと、松井秀喜さんって人の悪口とか言わない人で、三振して悔しくてもバット投げないとか、ザ・人格者ですよね。すげぇと思うけど、僕、ちょっと苦手なんすよね、立派な人が。悔しくて号泣したり、カチンときて感情的になってなに喋ってるのか分からない人がなんか感動してしまうんですよねー。

うちの子、むっちゃ大人しくてあまり怒りを表に出さない子なんで、「むかついたら怒っていいんやで~」て逆に言うたりしてます。ほんと陰キャラって言うか、静か。

でもこの前嬉しいことあった。めっちゃ怒られたんです(ここだけの話)。内容は詳しく書けないけど、感情昂り眼鏡投げつけ爆発してた。

あー、こいつも色々あるんだなー、父ちゃん嬉しいで、一発くらいどついてくれてええで、と、なんだかジーンと来た。その後すぐ謝ってきたけど、全然良いよそんなん、て応えた。若者は大人たちに噛みつけよ。言われたことをそつなくこなすだけのゾンビ君にはなってほしくない。今日はそんな日だった。