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仁義なきブログ

おっさんになってから、仁義なき戦いハマる。これまでバイオレンス映画ってあまり好きでなかったんだけど、ふと、見てみたくなりまず最初の1本を借りて見た。妻子も始め一緒に見だしたんだけど、映像がガサツでよくわからない、とかで直ぐに寝た。僕は始めから菅原文太に胸ぐら掴まれ「どないな」と脅されてるようで、一瞬でもっていかれた。一気に全シリーズ見てしまった。

こんなめちゃくちゃな殺し合いの何がそんなに良いのか、何故惹かれるのか、わからなかった。良い悪いで言えばきっと悪いに入るべきで、暴力を肯定するべきで無いと今でも思う。それでも問答無用、圧倒的に揺さぶられるのだ。説明なんか出来ないし、したくないんだけど、多分これかなというものがある。

多分、人間賛歌なんだ。これは殺し合いの人間賛歌。ヤクザの話だけど、テーマは村社会のこじれであり、日本そのものであり、町内会でも、喫茶店でも、学校や会社でも仁義なき戦いは頻繁に繰り広げられている。僕は切羽詰まった感じが好きなんだろう。お店でも楽に稼ぎたいけど、毎日完全燃焼したいし、無茶苦茶忙しいのが笑えるくらいに好きだから、多分一生ジタバタしてる死んで行くんだと思う。金持ちになってハワイとか行って、美女らとフラダンス踊って、高級なレストランで食事をして、とか、絶対したくない。1年中遊んで暮らす、毎日が夏休みが理想、とか、何が楽しいねん、て思う。余裕ある生活から幸せはやって来るんだよーってふわふわした本とかブログを否定してるようだけど、僕はそうは思わないんだから仕方ない。

激烈に追い詰められた時に人の本質が問われると思う。じゃあ借金して愛人作ってこじれまくって追い詰められてみいやと言われると、それも嫌なんだけど、。どうしようもないことがたくさんあり、力で解決しようと必死になってる姿に感動する。自分を貫こうとしてるんじゃなくて、自分はもうこれしか道がない、みたいなぶきっちょな人間が好きなんだと思う。多分その理屈じゃない不道徳な世界が間違いではあるけど真実のように見えるんだと思う。

悩みない方がいいのに、悩んでいたい。お金たくさん欲しいのに、効率悪いこと選んでる。苦しみや悲しみが好きなんだ。そんな気がする。駄目ですか、いや駄目ですね。だからいいんです。

いらっしゃいませ

いつも当たり前にいらっしゃいませー、言ってたらなんかわからなくなってしまい、何だ?いらっしゃいませって、いらっしゃってるお客さんに対して「いらっしゃいませ」て変だ。外国では「ウェルカム」とか言わないそうで、会釈して挨拶する感じらしい。日本のインド料理店でインド人の人が「シャイセイ」をやたら連呼するお店があった。それはもう日本語でもインド語でも何語でもなくなっているんだけど、とにかく「シャイセイ」貫き通して堂々としてる。

僕が20代の頃に働いてた喫茶では、ママが「いらっしゃいませー」のせーって伸ばしたら駄目よ!ってよくウェイトレスの女の子叱られてたな。別の店でも色々ないらっしゃいませがあり、「しゃーせー」とか「いらっしゃいまっせ」とか「いらっしゃいませどうぞようこそー(超早口)」とか、酷いのでは「せー」だけ言うてる人も居た。逆にスタバではいらっしゃいませ無くて、「こんにちは」や「おはようございます」を採用してて一瞬、言わんのんかい、ってなるけど気持ちいいですね。挨拶は良いですね。僕は、スーパーのレジでも挨拶されたら必ず挨拶で返す。いらっしゃいませーだと無言のまま。だけど、急に明日からお店の方針変えて、「挨拶のみにしようぜ」って決めてもよほど徹底しないと難しいものです。今んとこは「いらしゃいませ、おはようございます」とふたつ付けるようにしてる。

最近読んだ本で「音楽と雑音の違い」は心が入ってるかどうか、ってことで、心ある「いらっしゃいませ」は音楽、心ない「いらしゃいませ」雑音だ。と書いてあった。なるほど、全部そうだなと思うた。たまに超か細い声で「いらっしゃいませ~」て言うてる店員さんいるけど、あれは言わないほうが良くて、雑音なんだろうな。

全然関係無いけど、前にいたお店で、お客さんが入り口付近にいらっしゃった時の思い出。遠くからそのお客さんに届くように声張って「いらっしゃいま」まで発したところで実は食事を終えて会計のレジ付近に来てるお客さんだと、気がつき「ありがとうございました」にチェンジせねばと慌てて言おうとした結果「いらっしゃいました!!」って大声で叫んでしまった。スタッフ全員「は?」てなってて超恥ずかしい思いをした。

最後までしょうもない文読んでくれて、ありがとうございました。

美味しそうな香り身に纏う戦法

美味しそうな香り身に纏う戦法

前回のブログ更新から2カ月以上経っていた。毎日色々なことあって日記(ブログ)を書いてる人もいるのに、僕は苦痛に感じる。自分ではもう気にしないと思ってたつもりだけど、前に中傷するハガキが届いたこと、未だに引きずって気にしてる自分もいる。それだけでも無くて、公に出来ない事も何個かあって、何でもかんでも赤裸々に発信出来ない事情がある。僕は妻子がいるので、最後のところで自分本意に発言出来ない部分もある、、。

もともと社交的では無く、協調性も薄くて、自分の殻にこもって色々作ったりするのが好きなタチで、やたら肩組んできたり、酔っ払いの人などが苦手で、面倒臭さいと避けて来ました。だけど思想というか、一丁前に頑固で貫きたい気持ちも確かにあるわけで、、避けて通れない道(人)がいたりすると発狂してしまったり。

「だから僕は歌うんだよ?精一杯デカイ声で?」て、ブルーハーツの歌詞であったけど、僕の場合は「だから僕は作るんだよ?めちゃくちゃ美味しいものを?」になるのかな。書いてる途中であまりのストレートさに恥ずかしさが追い越してうわぁだっせぇて、なる。まあ、ダサいのは本当なんだから、良しとしよう。

母は超社交的で誰とも気軽にお喋りできる天才なんだけど、僕は真逆であのフワッとした感じやズカズカ行く感じが出せない。そのかわりに僕は美味しいパンが作れる、ただ作れることしか出来ないけど、確かに作れる。社長の仕事は集客だ、とよく聞くけど、僕は作ることしか出来くて、営業が全く出来ない、苦痛で苦痛で苦痛なだけで何もおもろない。 だから僕、そんな、体に悪いことやめてひたすら作る。幸いパンやコーヒーは美味しそうな香りを放ってくれるので、僕はその美味しそうな香りを身にまとって「ははは」と不気味で下手くそな笑顔振り撒くことで、まんまと(?)お客さんが釣られて寄って来るという戦法を見つけたわけです。

いろいろな人種の人、考え方が違う人がたくさんいるんだし、僕のこんな独り言も「ふーん」とか「くだらねー」とか何でもいいです。僕は美味しそうな香り身に纏う戦法でやってますんで。

上見て暮らすな下見て暮らせ

あるお客さんが「クリームパンめっちゃ美味しいす!〇〇ベーカリーのクリームパンに似てるんす!」と褒めて?くれたんだけど、胸に妙な引っかかりを覚えた。〇〇ベーカリーは有名パン屋さんで、テレビでもよく紹介されてるお店です。 そのパン屋さんのクリームパンどんなんなんやろうと気になってたんで、買いに行ったんです。なんかテレビで紹介されました!的なポップや輝かしい実績の記事を貼ってあって、流石な、横綱の貫禄な、と眺めました。

何個かパンを物色したり、パンの成形の仕方をまじまじ見たりしてると、妻が「こんな凄いパン屋さんと似たパン作れるって、みーくん(僕)凄いやん」て言った時に、普通なら、せやろ!どやさ!って思うかもしれないけど、なんか無性にイラッとしてしまった。 上手く表現出来ないけれど、わしは別に有名店に寄せてるわけじゃねぇし、横綱に近づけて光栄っす!どすこい!って言う縦社会に参加したくねぇし、そもそも初めから負けてるなんか思ってねぇし、とか、自分の中の負けず嫌いな偏屈ジジイが申しております。

実際食べてみたけど、美味しいけど、それ程似てるとは思えないってのが正直なところでした。なんやったら勝ってました。負けていると思うのは、宣伝力、知名度、あと人間性なんかなとも思うた。

SNSのタイムライン見てたら皆んな輝いてる風で、いつも劣等感を植え付けられます。それと同時に「別に大したことないねんけどな」と極めて上から目線で思うてることも確かにある。流行りに寄せるだけの店って薄っぺらい気がして、なんかねえ。。その我が邪魔して、馴染めないなあと苦戦してる自分も歪めないわけです。

息子が中1になって成績の順位を気にしだし「〇〇君なんかばりアホで宿題ほとんどせえへんねん」とか、勉強しない友達と自分を比べて薄く安心しようとしてるのが見えたので、僕の考えを偉そうに言うてしまった。
「おれがスーパーの大量生産の食パン食べておれが作るパンのんが美味しい、おれ凄いやろ、とかいきってたらどう思う?父ちゃん見っともないよってなるやろ、自分より成績悪い子と比べるんやめな、ダサいから」って返した。

下見て暮らせと世間は言うかもだけど、あれは今の現状に感謝しなさいの意味だろうに。僕は横綱に負けてるのが悔しいとマジで思いますけど。

ブログ更新しました

知ってる人もいるだろうけど、僕この前に苦情のお葉書をいただきその内容が「ブログ読んだらクソな奴やった」とかいう内容で、そのことをSNSに投稿したところ、沢山の人から励ましのコメントを頂きまして、先ず、その人たちへ感謝の気持ち伝えたいです。僕はクソな奴ではなかったようです。だいぶん心も落ち着いて来ましたので、ご心配無用です。ほんまに、ありがとうございます!!

苦情の葉書にも書かれてたんだけど「文章力磨いた方が良い」とのことですが、僕が文章力磨くかどうかは、僕自身が決める事なので「何で匿名の奴に言われなあかんねん、逆に文章力磨きたく無くなったわ」と心の中で思いました。インターネット上で発信するにあたり、物書きではない素人が文章を書くことで、色々と過ちが生じてしまう。スマホの普及で、活字を打ち込む事が増えたけど、頭が悪いんで国語力も無いままにブログなどを書いてしまい、結局何が言いたいねん、って事多々あると思う。そもそも言葉自体が、人の心の揺らぎに追いついてないのに、文章で人に何かをわかりやすく伝えるって無理があるんだろう。

誰かのツイートで「人類にインターネットは早すぎた」て、ほんとその通りだと思った。今までになかったしがらみがしがらみを生んで身動きが逆にとりにくくなった。知りたい情報が手軽に得られるかわり、知りたくない情報まで手軽に得られる。

例えば戦国時代に皆んなスマホ片手に斬り合いしてたら、もっとぐちゃぐちゃになってたんかも。武田信玄が上杉謙信のブログ読んで「うわ!こいつめっさええやつやん!」とか、織田信長が明智光秀のツイート見て「まじかよ!ショック過ぎじゃん!」とか。源氏物語でfacebookあったらロマンもヘチマまない。。

今や無法地帯のインターネット、匿名だのネトウヨだの普通の人が酷いこと平気でしてまう時代。コンビニの成人向け雑誌無くしたところで、スマホで簡単にエロ動画見まくってるやん。逆に動画投稿手軽に出来るから、恐喝とかの犯罪が減ることは良いことですが。

表裏一体というか、良い面と悪い面と、想像を遥かに超える暴力装置に変わる一面があるんだと、思い知った。ブログは日記。こっそり見て風呂入って寝て下さい。そんな大層なもんじゃないです。

面接

面接

うちの店の面接は表向きは面接だけど、事実上のパートナー探しのお見合いに近い。マンツーマンで働くことが多いので、兎に角、波長の合う人じゃないと雇えない。シフトの希望の一致や日数やお給料の額も当然大切なんだけど、何よりも波長が大切だと心底思う。なんかあったんすか?って問われると「はいありました」と応えます。

どうもはじめましてと対面して、約30分程でその人の適正を見極めてジャッジしないといけないのだけど、本当は2分くらいで決まってるんです。過去に何度も見誤って新人さんを傷つけてしまったり、こちらも傷ついたりした。例を挙げるとキリが無いけど、面接で声のトーンをひとつ上げてうつむき気味な清楚な人に多いんだけど、僕の性格の悪さに気付いて「ブス」っとしてサラッと「辞めます」率高くて、オープンして1年で10人くらいいた。余りにも直ぐに辞めて行くので、自分の方針が明らかに間違ってると気付くまで人間不振だった。 極めつけは、一日だけ「お試し研修」した奥さんに、向いてないから雇え無いことを伝えた際、ショートメールで「あああああああああああああ死ね」って送られて来てゾっとして、ガラスのハート木っ端微塵にされた。。

飲食店に限らず、先ずコミニケーションが取れるかどうかだと思う。僕自身、学校も辞めたり、職場でパワハラにあったり、精神的にズタズタになったり、上司にブチ切れたり、人として適合出来ない人種やったんで、そもそも僕自身が面接官失格なんで、ええかっこして面接したってお互い直ぐバレるんです。

だから2分でわかる。嘘ついてるかどうか。そして、この場を勝手に借りて懺悔したい。調子こいでた時の僕の傲慢な振る舞いに被害を受けて去っていったバイトさんたち、本当ごめんなさい。死なないけど謝ります。

些細なことで

病院にて

職業柄よく人の仕草や表情を観てしまいます。チラ見じゃなくてついついガン見してしまいます。こないだスーパーのレジでパートさんがお釣りを僕の手の上に置く時に後ろのお客さんに目をやったのを見ただけで、心の中で「アウト」と思います。コンビニでアイスクリームと雑誌を買った際に「袋別にした方がよろしいですか?」と問われ「ハイ」と応えながら「袋別にしておきますね、やろが」とそいつにも心の中で「アウト」にします。
逆にこちらがレジの時は会計してる人の財布や靴や鞄もじっと見てしまい、しゃがみこんだ時の頭の渦まで見たいとなります。何時もお客さんが何かしらのサインを出しているので、僕は先回りする癖が付いてしまい、先回りする前に聞かれたり、呼ばれたりするだけで「嗚呼アウトや」と悔しくなります。


そんな些細なこといちいち気にしてたら息詰まるやん、ざっくばらんでええやん、とか言われると「君とはやっとれんわ」と思ってしまいます。人って超わがままだし、超繊細な生き物だと決めつけて接しないと一瞬でぐっちゃぐちゃになる。今までの数えきれない失敗って自分のテキトーさ雑さで人を怒らせたり、失望させたりしてて、その都度凹んできたから。スタッフ達や家族は僕のこんな細かしいことよく知ってて、僕の取説を各自持ってる。神経がピンピンに尖ってる時は色々なものが見え過ぎて幻を見てる気になる。
そこにまた落とし穴があって、とんがると、見えてる気がしてるだけで本当は目の前の人を平気で傷つけてることすら判らないくらい汚い生き物になる。


前働いてた店で、上司にガミガミ怒られてる時に頭がクラクラして何喋ってるのかちんぷんかんぷんで、その上司の口だけがどんどんデカくなって、顔が口だけに見えたことがあった。自分もそんな口お化けにならないようにせんとなぁと思う。


些細なことだけどよく思います。

2019年4月20日より、消費税が内税から外税に変わります。

2019年4月20日より、消費税が内税から外税に変わります。
ご了承の程よろしくお願い致します。

売れたい

病院にて

売れたい。売れまくって売れまくって暮らしを良くしたい。お金のことで悩みたくない。妻に好きなだけ好きなもの買ってあげたい。子の将来の可能性をどこまでも広げてあげたい。レコードやCD沢山欲しいし、ギターも欲しい、バイクの免許も欲しい。

お陰様でお店は繁盛してるんですが、僕の経営能力が低いせいかなかなか暮らしは良くならないです。確かにオープンして3年目くらいまでは赤字丸出しの素人経営者でズタボロやった頃よりかはマシになりましたけど。
ずっと考えてしまうんですけど、才能ってほんまに必要なんでしょうか?才能無いから売れないって決めるん酷すぎやと思ってて、ブスやから彼氏出来ひんみたいなことでしょう?確かに得意や不得意はあるし、さほど練習してないのに上手い人はいますけど、売れる売れないって才能だけじゃ片付けられない深いところにあるもんだと思う。

Twitterで知った田島ハルコさんは「才能がありすぎて困る」と綴ってて、そこにはミーハーな庶民にまで届かないことの難しさみたいな苦悩があった。無茶苦茶カッコいいなぁと思いました。勝負してる人輝いてるなぁって。
そもそも僕はコンプレックス多くて出来ないことだらけなんで、才能なんか無いけどやったるわい人生な気がする。才能有り余ってて努力したり頑張ってる人は必然的に売れるんだろうけど、偶に「練習きらいっす」とか「汗とかかきたくないっす」とかほざいてるプロの方見つけたら、超腹たちます。頭が硬いせいか、頑固者なせいか、楽して稼ごうとする奴に拒絶反応が起こり調子悪くなります。こちとら才能無いけど、ジャンプ力無いけど必死に飛び跳ねよおっしとんねん!って、見苦しい感じ。

ただ自分の個性とか言うやつは時々邪魔だと感じてて、好きな音楽や好きな人が世間とはズレてる事って確かにある。売れてる店や人や会社で、うわぁーだっせぇぇっ感じる事がある。感性が違うだけなんで、人は人と思うようにしてるけど、どうしてもアレをしてまで売れたいとは思えへん、てか無理だ、となる。
その自分の中の大切な何かが最大級な邪魔者になってたりする。こだわり?って呼ばれるのか。僕は真っ直ぐに投げてるつもりたんだけど、人からしたら思いっきりすっぽ抜け危険球やったり。
何が当たり前なのか分からないけど、ある程度のぬるさや湯加減にしないと売れない。最高傑作でけた!と思うものはほぼ売れていない。

皆んなを満足させることは不可能だけど、特定の人だけにウケる店作りにもしたくないんです。だって暮らしを良くしたいんだろ。おれ。日々精進して行く次第です。

病院にて

病院にて

火曜日の定休日に調子悪いのにハズレランチの件思い出したらまた僕も妻も腹立ってきて、「化学調味料しこたま食べて舌がピリピリする」とか「お腹がチクチクする」とか「わたしお金全部出した」とか「じゃあ払うよ、おれひとくちしか食ってへんけどな」とか「いや待て、被害者同士がケンカしてどうするん?うちらの敵はあっちよ!」とかわなわなしっぱなしでソファでぐったりしたらもう夜になってた。

次の日の朝「お店閉める」と母親に連絡して張り紙を貼ってもらった。僕は近所の病院へ車で行ったんだけど、ただでさえ方向音痴なのに調子悪いの重なり、近所やのに迷子になりかなり遠回りしてしまった。
待合室で、名前を呼ばれるのを待つこと10分くらいで「ムラタさーんムラタミノルさーんどうぞー」と呼ばれたんで、立ち上がろうとすると目の前に座ってた100歳くらいのお爺さんが「ハイ!」と元気いっぱいで返事したんで、あれオレ偽モンかな?って一瞬ひるんだ。ひるんだけど負けじと、お爺さんより早く扉について案内されたので僕が本物と認定された。僕もお爺さんくらい元気になりますね。

ベッドで座って待たされてから、ベテラン看護師さんがインフルの検査しに来た。鼻に綿棒的な棒をズコズコ刺すのしたことあるから、ビビりながら目を硬く閉じて我慢しようとした。昔から右鼻は蓄膿で詰まっててほぼ呼吸は左鼻でしてるんだけど、半分の確率で詰まってる方をズコズコ刺して来て「アレ?入んないわね」っさらにズンズン刺すからマジで痛くて逃げた。「す、すんません」て顔面押さえながら誤りながら、なんであやまらなあかんねんと思う。
やっと、診察室に案内してもらい先生とご対面すると予想外に若い女医さんだった。調子悪いからテンション低めやけど、ほんまはめっさ嬉しかった。受け答えしながらパソコンを打ってカルテを作ってるんだけど、指が虫より速く動いてて見惚れた。マスクしてはるから顔はよく分からないけど明らかに女子。女子の素手で「首回り触りますねー」と触られ、聴診器で診るので「胸まで服上げて下さいねー」とペタペタお医者さんごっこで全体するやつさせてもらいテンション2くらい上がった。妻以外の女子に首とか体とか、あーいけません、そんなところまで、あ?れーとか妄想しちゃう。。すんません。

兎に角インフルでは無いとの診断だったので一安心した。微熱のまま帰り夕方に蕎麦を食べて次の日に備えてまた寝た。元気なら片付いてない仕事をやってしまいたいくらい時間はあったけど、この2日は何もせずにひたすらに寝た。

次の日無事営業再開して、帰宅すると息子のお手紙がリビングに置いていて泣きそうになった。たまたま参観授業で親へ感謝のお手紙ってコーナーがあったので。タイミング的に弱ってるからなんか直視出来なかった。ありがとうね。リアクション薄いけどむちゃくちゃ感激してたよ。