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楽園でありたい

音楽が好きでライブも最近はちょくちょく行くようになったんですが、スタッフさんに「元気やなぁ」と言われて「いや、元気ではない」と応えた。なんか屁理屈ブッこいてるみたいだけど、テキトーに嘘つけなかった。呼ばれてる気がする、吸い込まれる引力に忠実になると、どれほど仕事が残っていようが、財布が寂しかろうが、寝不足だろうが、嫁子が不満漏らそうが、雨ザーザーだろうが、奇妙な執念を発揮して、ライブを観に行く。

あれはなんだろうと考えた。遠距離の彼女に会いたい気持ちだろうか、いつも変わらない日常に刺激を与えたい欲だろうか、別に明日も朝早いんやし、無理せんと帰ってゆっくり寝たらええのに、そんなしんどいことせんでもええのに。。

シンプルに「好き」なんだろうな。それ程に僕からしたらそのミュージシャン達が好きなだけなんだろうな。テレビに出てるか出てないかの違いでミュージシャンの扱い月とスッポンなん可哀想。才能ある非凡で魅力的な人沢山いるから、売れてほしい気持ちもあるけど、売れまくってアリーナとかでコンサートされたらチケット高くて観に行けなくなってまうから、丁度いい感じで売れてほしい。勝手なこと言うな、ですが、。音楽家は皆僕からしたら妖精だし、ライブは妖精たちの居場所だし楽園なんだろうな。。

たまたま僕の場合は音楽やけど、それぞれ皆何かにつけて、吸い込まれる場所ってあると思う。この店も誰かさんにとっての楽園でありたい。あーグリラバ発作止まらんから今週も行っとかんとな、みたいなん。
お店でも、好きな人呼んでライブイベント増やす気なんで、覗きに来てほしいです。よろしくっす。

コミニケーション

コミニケーション

100人に褒められたことより1人をガッカリさせてしまったことの方が残る。お店に来てくれたお客さんは皆んな機嫌良く帰って欲しい。。ホスピタリティと横文字で言うのはどうも抵抗があり、お客様満足度100%を目指してって言うと、キレイゴトのように聞こえる気がして、安易に言うと安っぽく聞こえる。

お客さんと僕の真剣勝負、めちゃくちゃ些細なことで、怒らせてしまうことあるし、ちょっとした言葉の使い方とか表情とかで、ガッカリさせてしまうことある。色んな人がいるから仕方ない、いちいち気にしてたらキリないやんって考え方もあるけど、僕、ほんまいちいち気にしてまうたちで、人の心の隙間の隙間に入って観察しようとしてまう。

この前4名席に座ってた2名様に、団体様が入られたんで2名席に移動お願いしたら、快く替わって頂いたんだけど、さらに団体様が入られて、さらに移動お願いして移動させてしまった。同じ人に二回動いてもらうってお店として大失態だった。その時はお客さんを来店させることばかり考えてて、既に座ってるお客さんの気持ちをくむことが出来なかった。料理の味とか店内のインテリアとかそんなんよりもっともっと大切なもんあるのに、勘違いした店主がいちびって店を廻すことに力注いだ結果、1組のお客さんをガッカリさせた。

こう言う事不意に起こる。何日経っても気持ちにつっかえて残る。残るどころかデカくなって育ってくる。消えない。
ずっと料理しててお客さんとコミニケーション取れないのがひとつ原因やと思い、最近ちょっとずつスタッフに料理教えて、自分はホールに立つようにしてる。僕からしたらわざわざこんなわかりにくい場所にあるお店に来てくれるってだけでも天使みたいな存在。もう少し距離を縮めてお話ししたり、気持ちさりげなく組めたり出来るようになりたい。

そんなことばかりです。。

今度は愛妻家

今度は愛妻家

先月から妻が店に復帰して村田家の生活リズムが一変した。勤務する時間帯、子供が学校から帰宅しる時間、晩ご飯の支度、お給料の事、バイトさんとの関係、あれこれがどばっと一気に来るから毎日薄くテンパった状態が続いている。
妻も忙しく、少年団の会長をあみだくじで8分の1の確率で引き当ててほんまに地に足が2ミリくらい着いてない人みたいに必死漕いでる。

普段から仲は良いのだけど、お店の中で一緒に働くとなるとどうしてもイラッとしてしまい、棘のある言い方をしてしまう。店で変な敬語使ってきて「なんすか?」言われただけで、はあ?ってなる。お互い不器用ってのもあるんだろうけど、以前よりも10倍くらい意思の疎
通下手過ぎて、会話も夜中に沢山して確認し合ったりする。収入源がお店の売り上げだけになるというプレッシャーを感じて、頭に血が上りやすくなってるのがわかるから、コーヒーも大量に飲んでしまう。

家では妻が天下取ってるんで、司令塔でありリーダーであるから、僕と子は従業員とか弟子みたいに使われるし、それで良いと思う。だけど店だと立場は逆転して僕のお城で、妻は一バイトさんである。

だから失敗もある。常連様に2回続けてレジミスをしてしまい落ちこんでしまい、気にせんでええよ、って言うても気になるみたいで、自分のせいでそのお客さん店に来なくなってるじゃと被害妄想してる。真面目なこやからそんなんで号泣したりする。家と店とを往復する度に僕らは徐々に結束していって、お互い上げ足を取りあったり、足りない部分を指摘したり、包み隠さずムカついたり笑ったりしてる。

この前踏み切りに立つ女子の後ろ姿に魅せられて、停車してる車をそっとブレーキ緩めて角度変えて女子の顔面見たろう思うたら、後部座席から妻が肩パンチしてきて「なに見ようねんいやらしい」と突っ込んできたので、妻の怒顔しか見れなくてくっそってなった。その顔もまあまあ愛しいって思う今日この頃です。

ミーティングにて

ミーティングにて

前の日曜日の昼下がりにスタッフ全員集合して現場ミーティングをした。
僕入れたら全員で6人いる。頭の中にある伝えたいことを皆に伝えようと身振り手振りで話すんだけど、全然伝わってない気がして、わかる?って何回も聞き返した。頭では解るけど、実際にやる時にはどうかなぁと。みな口をもごもごさせる。うわ、全然解ってへん、てか教えるの難しい。わかる?の問いに、何が解らないかがわからないといった感じで、グダグダミーティングの泥沼にどっぷりハマってしまい、悔しさややるせなさが払拭されないままなんで、ブログに綴ってみようと思った。

具体的にはこう。波に乗る方法を伝授したいんです。
お客さんの、僕の波を感じてサーフィンしてほしい(全然具体的ちゃうやん)。リズムが大事なんだ、ドラム叩くんじゃなくてドラムを弾くように働いてほしいんだ、(更にわかりにくい)。点を線にして音符をつけて歌うように踊るように働いてほしいんだ。こんなこと言うマスター頭おかしいかもですが、多分おかしいんです。だけど、伝わってもらわないと困るんです。

僕が作る料理提供とスタッフが出すドリンクオーダーがバラバラで、時間差があったりなかったりするのが許せない。僕と貴方はふたりだけどひとつじゃないといけないわけで、追い越したと越されたとかそもそもなくて、右足が二歩歩いてから左足が一歩歩く人がいないように、必ず右足くん左足くんかわりばんこかわりばんこかわりばんこでスッタカタッタッター♪にならんと。

今年から席数が8席増えて、確実に去年より忙しい。波にのまれてる場合じゃないねん、乗らないといけない。寝ても覚めても店のことばかり考えてる。。おやすみなさい

グリーンラバーズ通信vol.62「飛躍の年」より

実は去年の夏頃に店の移転を考えていて、知り合いのお店が閉店したいとのことで、店舗が空くんで次しませんか?とお誘いを持ちかけられた。今の倍の広さになり、一気に飛躍出来るチャンスを頂けたんです。本当に感謝してます。
去年は酉年で、年初めの目標に「今年は飛躍したい!」とSNSとかに投稿してて、前のめりになって移転する気満々やったんです。僕はのめり込んでしまうタチで、入ってしまうと前しか見えなくなり、暴走してえらい目合うパターンを学習しないおバカさんなんですが、この度は脳ミソが焦げてまう位考え抜いて断念した。

実力を過信して多額の借金して嫁子泣かして、スタッフ泣かして、友達怒らせて店潰して、人に雇われる事も出来ず空き缶集めて、楽器とか服もお宝1番星で売って、近所のママさんに後ろ指さされる転落人生送ってまうとこやった。危ない×2。
「いきなり高い所行かれんくせに、調子に乗ってんぢゃねえよ」と、久々にもう一人の自分(店長)に叱られた。今、席数を8席増やして、今年は初心にかえって、また地道に努力して行くしかない。それがいいしそれしかない。本当の飛躍はこれからです。

グリーンラバーズ通信vol.60「もう引き返せない」

グリーンラバーズ通信vol.59「取り柄を活かして」

6年前の今頃は開業のこと準備をしていて、営業許可証を取りに行ったのを覚えてる。
その有効期間が平成29年11月30日までとされていて、その日付けの遠さや果てしなさに唖然とした。
てゆうか店あるんかいや?
飲食店は起業して5年以内の廃業率が80%、10年で95%は潰れる確率で、よっぽどじゃないと生き残っていけないのがこの世界。
特攻隊の如く無謀な商売のひとつだと思う。

6年を経て営業許可証の更新をついこの間して、ひとつ区切りがついた気がした。
何度も何度もくじけたり弱音吐いたりで、ヘナチョコパワーを炸裂させてひとつ岸まで辿り着けた。
家族や友人、スタッフ、お客さんに沢山助けられてなんとか辿り着けた、辿り着かせてもらった。
もう自分で言うてしまうけど、オレは選ばれし者なんだ。
自分の意思とは別の所で、この店は続こうとしてる。もう引き返せない。
ボク、動けなくなるまでグリーンラバーズしときたい。宿命や思って頑固親父化していきたい。
この「もう引き返せない」ってフレーズ、かっこいいでしょ?
大阪のシンガーソングライターの金森幸介さんの歌であるんです。
「夢は色あせてく僕は年老いていくでもへこたれちゃいない〜」とかいう詩でした。
こんな風に年とりたいもんです。

グリーンラバーズ通信vol.59「取り柄を活かして」

グリーンラバーズ通信vol.59「取り柄を活かして」

たまにお客様から「多才なんですね」と云われる事があるが、恐縮の極みで内心は(この人オレの私生活のポンコツ具合知ったら引くやろな〜)とか思ってしまいます。
お店は自分の出来る事にチカラを注いでこれでもかと打ち込んで、なんとか食うてますが、日常的にお店以外の事柄が鈍臭すぎて人として機能せえへんこと多々あります。
ご飯食べててもポトポトこぼすし、パンツ反対に履くことあるし、道に迷って家に帰られへんことようあるし、書類とか大切なもんすぐどっかやるし、片付けたものどこやったか行方不明なるし、車の運転下手で駐車100パー歪んで止めるし、あーあ上げ出したらきりが無くほんま人として生きて行くのがムズカシイワ、虫とか犬とかになってだらだら暮らせたら楽だろないやそれはそれでシビアで縦社会があって辛いこともあるんやろなーとか。

多才だなんて滅相も御座いません。しかし、「私なんて〜」と云うのも褒めてくださった方に失礼とも思うので有り難く受け止めて、わいにはこれしか無いんや〜と思うようにしております。
僕からしたらトラックの運転手なんか全員天才に見えるし、役所で黙々とパソコンと向き合ってパチパチと何時間もしてられる人達なんかええ意味で変態やなってじっと見て感心します。
それぞれに取り柄を活かして社会は成り立っているのですね。

「味見の話」

「味見の話」

この間、嫁さんが春雨の酢の物的なお料理を作ってくれた時の会話の一部なのですが、あとあとアタマから離れず噛み砕く作業をした。

春雨を食べると硬くて芯が残っており、「味見した?」と問うと「したよ」とのこと。確かに味は美味しいけどいかんせん春雨は硬いのです。
詳しく問うと味見は最後にしたとのこと。なるほど完成してから春雨の硬さは調整出来なかったのじゃな。
「春雨を湯がいた時に一度味見した方がいいんちゃう?」に時間計ってしたし味見もしたのに細かいこと抜かしやがってくそボケカス、とは言わないがそのような気配を感じたので追求せずに完食した。

僕は料理を仕事にしているので、やはり料理には口を挟んでしまう面倒くさい男なのです。自分が作る料理を自分で食べるときは誰に迷惑かけるわけでもないので、唐辛子を100個入れようが、パスタがスーパーアルデンテだろうが、自分の好みの味にすれば良い。だけど他人に食べてもらうときは食べる人の身になって作らなあかんと思う。
たまに聞く「はいどうぞ~味知らんけど~」の何気ない言葉の暴力。どっかから飛んでくるミサイルのように、ちょちょちょちょな発言である。悪意のない暴力が戦争に発展して行くきがする。

人の立場に身を置く

ついつい自分目線でしか物事考えられなくなってイラついたり不安になったりと感情的になりやすいでけど、料理は愛情ってほんまやなって今更ながらに思う。なんか春雨ひとつで人類の未来まで繋がってるやないでしょうか。しらんけど。

「人のせいの話」

「人のせいの話」

昔誰かに教えてもらったことです。「鬱の入口」に立つ信号があるという。例えば歩いてて、何か物を小指で小突いて「痛!誰やねんこんな所にこんなもん置いたやつはよぉぉ!」と自分で蹴飛ばしときながら人のせいにする。コレ、鬱の入口なんやって。自分が正しいと思い込み、被害者意識が芽生える状態なんだとか。そのことを聞いてから妙に信じてて日常でこういうシュチュエーションよくあるわ、気をつけねば、と思うわけです。

仕事中によく物を無くすんですが、見つからないとイライラします。誰やねん、何処やってん、くそう○%¥=☆^*$!!、、は!かなり高い確率で自分が阿保な顔でどっかに置いて忘れてるだけやのに人のせいにしよる、、あかんあかん気をつけねば。こんな調子は日常茶飯事。

この間多忙日にあれ程気をつけてるにも関わらず思いっくそ「鬱の入口」に立った。 オーダーが引っ切り無しに通ってて、常連さんの家族連れ4名さまのオーダーだった。お父さん、お母さん、長男、次男。急いでオーダーを作ってる時はアタマがプッツンしてる事があり、オーダーミスをしたのだ。4名さまなのに3食分しか作っておらず、確認するとベーコンチーズリッチバーガーが2つなのに1つしか作っていなかった。(息子2人とも同じバーガー)その時に超ド級の言い訳を口走った。

「おんなじ服のティシャツ着てくんの止めてくれよ~」

最近次男くんが著しく成長して、長男くんに激似になっており、眼鏡、風貌、髪型、ファッション、どれも激似で僕は息子さん2人を1人に強引にドッキングさせて、勝手にオーダーもひとつにしてしまったのである。それにしてもなんと傲慢なセリフでしょう。ティシャツの色なんか人の勝手の最果てにある選択肢ではないか。完全に鬱の入口に立ち、お邪魔しまーす言うてるではないか。

そもそも全部自分でやらかしたことなんだ。生まれて死ぬ間に、自分でやらかしたことにケツを吹きながら生きていくんだ。そんな事をモヤモヤ考えながらバーガーを作り直してその激似の兄弟を眺めた。

「マイ・プライベート・アイダボ」

さかのぼること30年。僕は小4の春の始業式を鮮明に覚えている。誰もが、クラス替えや担任の先生が変わり新学期のスタートを切る、初初しい気分でその日を迎える。僕にとってその日は一生忘れられない出来事となった。

担任の先生の自己紹介で、その熱血漢の先生が僕たちに語った話が赤裸々すぎた。死にかけた経験があると云う。重い病気で大手術を経験して、身体にその傷がまざまざと残っているのだと。クラスメイトは先生の話しに釘付けで、引き込まれている。先生も生徒たちに真剣に向き合って、担任としてさらけ出して行く覚悟が見えた。話しはヒートして、挙句に先生が身体の傷を僕たちに見せた。文字通りさらけ出したのだ。
クラス中がザワつ
妙な一体感が生まれた。僕だけを除いて。。

「それ、自慢け」

席の後ろの方から僕は爆弾発言を落とした。教室は凍りつき先生は怒りを通り越して悲しそうだった。ザコキャラをしばく時のケンシロウのように、指をペキポキ鳴らしながら僕の方に歩み寄ってきた。
その時に人生で初めて恐怖を感じたように思う。先生は何もしなかったが、

「その言葉、一生忘れんからな」

と僕に言い放った。僕はその先生の馬鹿でかい傷をもう一度こじ開ける暴言を吐き、僕もその傷と同じ長さの傷を心に負った。その一年は、ずっと先生とギクシャクしっぱなしでした。

大人ってなんだろ?言葉ってなんだろ?トラウマや呪いのように自虐は30年続き、10才からずっとかったるくて仕方がなかった。
もお、ええやろ。
この辺で終わりに
ようや先生。ええ加減ダボみたいな過去に縛られんと未来へ向かわせてくれ。許せんやろけど許してぇや。すんませんですまんけどほんますんませんでした。


ほんましょうもない投稿です。ごめんなさいm(_ _)m