2022年 9月 08日

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「青い天使」

久しぶりに文章を書く。もう書くことがアホらしくて、ブログなんか書いたってええ事なんか殆どないと思っていた。文章は書く人の人柄が滲み出るもので、カッコつけの文章はカッコつけた感じ、かっこいい人の文章は下手でもかっこいい。声もそうだ。なんかムカつくやつの声ってどんだけいい事言ってたってなんかムカつくは払拭されないし、落ち着く声の人の声はまるで催眠術にかかってしまうように心地よい。店主の人柄とやらを晒せば、お客様は面白がってくれるという理由でこういったブログスペースがあるのだろうか。だけどそれは、「面白い人」「魅力ある人」なら好転するけど、「悲惨な人」「つまらない人」だと見る方も晒す方もジゴクだ。僕は自分が後者に属している人物だと自覚しているため、ブログなんぞ辞めようと思うようになっていった。例えば素晴らしい俳優さんがいたとして、その人のブログや素性はなるべく見たくないたちで、その俳優が浮気していようがどうでも良くて、その演技の素晴らしさは揺るぎないのでそれでいいじゃないかと思う。結局、金儲けに繋げるために素性を晒したりする事がアホらしくなったんだと思う。実際、ハガキによる誹謗中傷やそれ以外でもいちいちめんどくさい批判を投げかけてくる人間もいる。とても疲れてしまった。人柄は変えることが困難だ。支持者は時に指示者になる事を身をもって分かった。じゃあ書くなや、つう浅ましい意見に対して反論する気もない。仰る通りですね、永遠にさようならと言う気持ちです。前置きはこの辺で、本編へ移ります。

人に感動を与えたいとか、勇気を与えたいとか、そんな技狙って出来ると思えない。ダーツの針が的のど真ん中に命中させる確率は低い。楽して痩せるとか、コスパの良いビジネスとか、うっせ!食うな!汗かけ!と心で思う。人生は永いサウナと同じ、死ぬ時にサウナから出た解放感を得るために苦しむ、みたいなことをビートたけしがおっしゃってました。なんと極端な考えかと思ったけど、満更あたってるように思う。この前のお盆期間にそれを痛感した。連日忙しくて、相変わらず妻とふたりで営業していたんだけど、余りにも忙し過ぎの徹夜続きだった最中、幻を見た。ランチ終了後、客席にはまだお客様がチラホラ居た。やる事山積みだけどちょい休憩しようと椅子に腰掛けた途端に、気を失ったのだ。 顔がハートの形した痩せた全身青の人が微笑みながら近づいて来た。後ろの遠くには彼女みたいなピンクの人が居た。僕はそれこそサウナから上がった解放的な気持ちで泣きそうになった。その青い人は何も喋らないのだけど、「来るかい?」と僕を誘っているようだった。「すみませーん」と本物の人の声が聞こえてハート形の青い人は消えていった。なんだったんだあいつは。神秘的な体験だったので忘れないようにその青い人の絵を描いた。

後から思ったんだけど、あの子たちはフランダースの犬の最終話で出てくるお迎えの天使たちなんじゃないか、と思った。あの微笑みは「今まで辛かったね、偉かったね、頑張ったね」の類の表情だった。僕は狙って人を感動させたり出来ない凡人で、数撃ちゃ当たる作戦でしか人を喜ばせる事が出来ない。そのむやみやたらな作戦が偶然ヒットして沢山のお客さんに認めてもらっているように感じて泣きそうになった。あの時青い天使について行っていたら天国行ってたんやろか?などと思いを巡らせた。ついて行ってないという事はまだこの世のサウナ修行が終わってないって事だな。お客さんが美味しいねと言ってわざわざ来てくれるのだ。まだまだやり足りないのだろう。と言う事を心ある人に伝えたくて、ブログを書きました。いつもありがとうございます。