2019年 2月

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売れたい

病院にて

売れたい。売れまくって売れまくって暮らしを良くしたい。お金のことで悩みたくない。妻に好きなだけ好きなもの買ってあげたい。子の将来の可能性をどこまでも広げてあげたい。レコードやCD沢山欲しいし、ギターも欲しい、バイクの免許も欲しい。

お陰様でお店は繁盛してるんですが、僕の経営能力が低いせいかなかなか暮らしは良くならないです。確かにオープンして3年目くらいまでは赤字丸出しの素人経営者でズタボロやった頃よりかはマシになりましたけど。
ずっと考えてしまうんですけど、才能ってほんまに必要なんでしょうか?才能無いから売れないって決めるん酷すぎやと思ってて、ブスやから彼氏出来ひんみたいなことでしょう?確かに得意や不得意はあるし、さほど練習してないのに上手い人はいますけど、売れる売れないって才能だけじゃ片付けられない深いところにあるもんだと思う。

Twitterで知った田島ハルコさんは「才能がありすぎて困る」と綴ってて、そこにはミーハーな庶民にまで届かないことの難しさみたいな苦悩があった。無茶苦茶カッコいいなぁと思いました。勝負してる人輝いてるなぁって。
そもそも僕はコンプレックス多くて出来ないことだらけなんで、才能なんか無いけどやったるわい人生な気がする。才能有り余ってて努力したり頑張ってる人は必然的に売れるんだろうけど、偶に「練習きらいっす」とか「汗とかかきたくないっす」とかほざいてるプロの方見つけたら、超腹たちます。頭が硬いせいか、頑固者なせいか、楽して稼ごうとする奴に拒絶反応が起こり調子悪くなります。こちとら才能無いけど、ジャンプ力無いけど必死に飛び跳ねよおっしとんねん!って、見苦しい感じ。

ただ自分の個性とか言うやつは時々邪魔だと感じてて、好きな音楽や好きな人が世間とはズレてる事って確かにある。売れてる店や人や会社で、うわぁーだっせぇぇっ感じる事がある。感性が違うだけなんで、人は人と思うようにしてるけど、どうしてもアレをしてまで売れたいとは思えへん、てか無理だ、となる。
その自分の中の大切な何かが最大級な邪魔者になってたりする。こだわり?って呼ばれるのか。僕は真っ直ぐに投げてるつもりたんだけど、人からしたら思いっきりすっぽ抜け危険球やったり。
何が当たり前なのか分からないけど、ある程度のぬるさや湯加減にしないと売れない。最高傑作でけた!と思うものはほぼ売れていない。

皆んなを満足させることは不可能だけど、特定の人だけにウケる店作りにもしたくないんです。だって暮らしを良くしたいんだろ。おれ。日々精進して行く次第です。

病院にて

病院にて

火曜日の定休日に調子悪いのにハズレランチの件思い出したらまた僕も妻も腹立ってきて、「化学調味料しこたま食べて舌がピリピリする」とか「お腹がチクチクする」とか「わたしお金全部出した」とか「じゃあ払うよ、おれひとくちしか食ってへんけどな」とか「いや待て、被害者同士がケンカしてどうするん?うちらの敵はあっちよ!」とかわなわなしっぱなしでソファでぐったりしたらもう夜になってた。

次の日の朝「お店閉める」と母親に連絡して張り紙を貼ってもらった。僕は近所の病院へ車で行ったんだけど、ただでさえ方向音痴なのに調子悪いの重なり、近所やのに迷子になりかなり遠回りしてしまった。
待合室で、名前を呼ばれるのを待つこと10分くらいで「ムラタさーんムラタミノルさーんどうぞー」と呼ばれたんで、立ち上がろうとすると目の前に座ってた100歳くらいのお爺さんが「ハイ!」と元気いっぱいで返事したんで、あれオレ偽モンかな?って一瞬ひるんだ。ひるんだけど負けじと、お爺さんより早く扉について案内されたので僕が本物と認定された。僕もお爺さんくらい元気になりますね。

ベッドで座って待たされてから、ベテラン看護師さんがインフルの検査しに来た。鼻に綿棒的な棒をズコズコ刺すのしたことあるから、ビビりながら目を硬く閉じて我慢しようとした。昔から右鼻は蓄膿で詰まっててほぼ呼吸は左鼻でしてるんだけど、半分の確率で詰まってる方をズコズコ刺して来て「アレ?入んないわね」っさらにズンズン刺すからマジで痛くて逃げた。「す、すんません」て顔面押さえながら誤りながら、なんであやまらなあかんねんと思う。
やっと、診察室に案内してもらい先生とご対面すると予想外に若い女医さんだった。調子悪いからテンション低めやけど、ほんまはめっさ嬉しかった。受け答えしながらパソコンを打ってカルテを作ってるんだけど、指が虫より速く動いてて見惚れた。マスクしてはるから顔はよく分からないけど明らかに女子。女子の素手で「首回り触りますねー」と触られ、聴診器で診るので「胸まで服上げて下さいねー」とペタペタお医者さんごっこで全体するやつさせてもらいテンション2くらい上がった。妻以外の女子に首とか体とか、あーいけません、そんなところまで、あ?れーとか妄想しちゃう。。すんません。

兎に角インフルでは無いとの診断だったので一安心した。微熱のまま帰り夕方に蕎麦を食べて次の日に備えてまた寝た。元気なら片付いてない仕事をやってしまいたいくらい時間はあったけど、この2日は何もせずにひたすらに寝た。

次の日無事営業再開して、帰宅すると息子のお手紙がリビングに置いていて泣きそうになった。たまたま参観授業で親へ感謝のお手紙ってコーナーがあったので。タイミング的に弱ってるからなんか直視出来なかった。ありがとうね。リアクション薄いけどむちゃくちゃ感激してたよ。

体調不良のため臨時休業致しますの理由

体調不良のため臨時休業致しますの理由

2月9、10、11と世間は三連休で僕らは稼ぎ時なわけで、ダブルパンの日したりでお客さんも沢山来て貰えました。ありがとうございました。自分で言うのも何ですが、鬼のように忙しくてほんと身体がバキバキになる程大変でした。色々とまだまだ未熟な点がありますが、スタッフ一同精一杯しております。。

月曜の夜に1週間の疲れや邪気を浄化しようと、毎週いちびって夜更かししたり、お酒超弱いのに呑んだりしてまいます。その日は妻が初めてストロング500mlのビールもどきを買って来ており、味見をしたら「オエこれ私飲めへんわ」と言うので、そのストロングとかいうのを僕が代わりに飲んだ。弱いくせにぐびぐび呑んで、更にハイボール作ってぐびぐび呑んだらもうカチコチになってしまい、そのままソファで気絶した。薄れて行く意識の中覚えているのは、妻が「部屋熱いから暖房消すからな、上(ベッド)で寝えよ」だった。
寒さで目覚めると真夜中、静かで悲し過ぎて死ぬか思い、ドタバタと二階へ駆け上がって震えながら布団に入って寝た。案の定目覚めは最悪で気持ち悪いし、寒いし、頭痛いし、やってしまったとどんよりな休日の朝。全ての予定が狂い、奇跡的に超頑張って買い出しだけ必死で成し遂げた。しかし、頭痛吐き気寒気は治らず、カチコチになったまま。妻がランチ前から気になってたところ行きたい~と誘うので「お、お」とか苦し紛れに返事した。食欲も全然無かったんだけど、知らない店は興味あるんで連れてってもらう。

まぁ、結果から先に述べると「クソまずい店」って事やったんですけど、それは僕らの舌がおかしいかもしれないし、ただ僕らのお口には召さなかったってだけなので、そこのお店さまやお客さまは末永く繁盛しておくれやす~なんで、何処のお店かは聞かないでおくれやす~。

僕はたった一口程食べただけでもういいってなり、店員さんに「持ち帰り出来ますか?体調崩して食べれなくて、すみません」って伝えたが、妻は苦行のように 必死に食べておられた。偉い。帰りの車中で毒を吐きちらしてちょっと楽しかった。

とにかく頭痛吐き気寒気は治らず、その日は帰りぐったりした。熱まで出やがり、まじ辛かった。次の日の朝、食パン焼くんに早く出勤しないといけなかったんだけど、目が覚めた時に身体と頭がギューーンってなってたんでそのまま目を閉じて、「今日は休む」と妻に告げた。

そもそも自分の自己管理能力が低くてやらかしてしまったことなんだけど、妻が「みーくん(僕)風邪ひいてるん全部私が関係してる、ごめん」と言うて反省モードになってしまう。確かにストロングのロング缶飲ましたんも、暖房消したんも、クソまずいランチ食べさせられたんもきっかけは妻なのだが、知ってしてるわけでは無いわけだし、僕が弱っちいのにいちびって呑んだんが悪いんだし、妻は一ミリも悪く無いと思う。だから、お店に来て「あの嫁か、」とかコソコソ後ろ指さすんやめてくれよな!

次の日も色々あったんでまた気が向いたら書きます。たぶん。

let it be

let it be

先日、let it beというタイトルでライブイベントさせてもらったんで、その軌跡をひっそりと残しておく。

遡ること1年半。「4人はアイドル」というビートルズのヘルプのパロディを思い立ち、個人的アイドルの4人にオファーをした所、一発で日程と承諾を得て2017年の真夏にライブをしてもらった。その日はアクシデントが相次ぎ踏んだり蹴ったりだった。思いがけず超満員になりテンパりながらのライブ営業で、エアコンもぶっ壊れてしまい、開演前に配布したパンフレットをお客さんはウチワ代わりにして、赤熱のライブだったと記憶している。

そもそものきっかけはジョニー・デップと福山雅治のビールのCMだった。メディアが日米の二大ギタリストが夢の共演!と報じてて「はあ?」と違和感を覚えた。福山雅治もジョニー・デップも好きな役者だけど、なんでまたギタリストとして報じるのか?と。テレビとかメジャーとかで活躍してるミュージシャンや映画の中でも、なんじゃそら?みたいに思う作品がある。それぞれの感性で傑作や逸品が違うんなら、僕は僕の感性とやらで表現してもええんやわと腑に落ちた。サブカルという言葉も嫌いだ。僕の中では彼等はメインだし、質の高い表現者たちだし、社会の隅でコソコソやってる感は無いわけだし、アングラ好きの気持ちが僕にはワカラナイ。

トップバッター、カニコーセン。ゴミ旋風が吹き荒れた後とあって、最新型のカニコーセンは圧巻のパフォーマンスだった。全力のフレディ・マーキュリーや、清志郎はおもろすぎ。面と向かって言うの照れ臭いけど、地味な日常にコブログは癒しだし、身近に変態見れて幸せです。地元にこんな筋金入りのパンクロッカーが居るって嬉しいことです。僕からしたら、ジョニー・サンダースやカート・コバーン級が地元で唸ったり発狂したりしてるのと同じくらい刺激的なことです。

次は、はにゃうにゃリミテッド。
カーリーヘアのカレーという歌をユーチューブで発見した時は、稲妻に打たれた感覚がした。当時見たはにゃうにゃさんはアフロヘアのヅラを着用していたんだけど、僕はそのアフロは地毛やと思い込んでいて、ある日、前触れ無く本人がお店に現れた時にアフロヘアはヅラと判明してショックを受けて更にファンになった。独自の世界観の煌めきは、デビッド・ボウイを彷彿させる。

3番手、つるんづマリー。僕がなりたかった職業の2つを2つとも実現してて、僕からしたら崇める存在の人。漫画家とミュージシャンってカッコ良すぎだろ。しかも真っ赤っか。つるんづさんの歌って、弾き語りでもバンド感があって、歌詞がグサグサ刺さるのが多い。病み上がりなのに全力を尽くしてくれて感動しました。

4番手、ほりゆうじ。言わずと知れた姫路のジョナサン・リッチマンって言うのもう止めたい。ほりさんほりさんで最高なんだし。曲がどれもこれもキャッチーでポップで親しみやすい。ほりさんのパフォーマンスを最前列で釘付けになってた少年(大五郎)の眼には西城秀樹クラスのスターに写ってたに違いない。カレーサンバで会場が揺れた!!


もうとっくにビートルズやん。

また次出来たら嬉しいけど、自分の意思とは関係なく降ってくるもんだから、次いつなるかわからないし永遠に無いかもしれない。。約束してするもんじゃ無いからこそ刺激なんだと思う。ご来場してくださったお客さん、演者さま、家族、近隣の人たちに感謝です。

新成人たちよ

新成人たちよ

◎グリーンラバーズ通信.vol74より

この間の成人の日に何処かの成人式で市長が演説中に、酔っ払った新成人たち(男の子)がド派手な衣装で暴れ回っていたのをテレビで見た。
昔はああいう人たちを軽蔑していたけどこの度は「元気ありあまってええな」と感じた。年取ったせいかもしれないけど、今あんなに大声で叫んでみたり、社会に対して反発してやるぜ!的なエネルギー無くなってるもん。
カート・コバーンは「若者はムチャクチャにすることが義務だ」とこれまたムチャクチャなこと言ってたけど、あながち間違いでも無い気がせんでも無くは無い…。今の日本ってフランスやアメリカみたいに反逆者たちが戦ったり叫んだり血流したり、死んだりしなくなってる。死んでしまう事は最悪だし不幸な事だけど、個人の自由とか差別の無い世界を命がけで守ろうとする者は美しいです。
全体的に当たり障りなく、角を立てず、皆んな何となく痛い思いをせずに、お金も無いけどそこそこの暮らしを…。オェー!想像しただけで寒気がする。。丁度良い生活なんか何が楽しいねんって思う。やりたい事思い存分やったらいいし、才能なんか無くても好きな人と好きな事好きなだけやればいい。
僕、成人式にも行かずに「ダセー」とか言うてダサい奴でしたけど、大人しくなることが大人になるってことじゃ無いと思うんです、、「成功者に」とか「羽ばたいて」とか、そんな安い言葉に騙されるなー!って小さな事で言いたい。。

お父さんのいびき

お父さんのいびき

先週、母親方の叔父が癌で亡くなってお通夜に行ってきた。まだ62歳と若い年齢で母親の11下の弟だけど、最期はお爺さんになっていた。
ウチの父親も癌で亡くなって確か62歳だったんで、叔父がオトンと重なって見えた。

叔父さんの生前に二度お見舞いに行ったんだけど、死ぬ1週間前に自宅にお邪魔させてもらった。大きいベッドと酸素の供給機2台あってリビングは半分くらいになっていた。僕と妻と子と、叔父さんの弟夫妻と、叔父さんの奥さんと従兄弟である子供たち3人と、その子供たちは2人で小さな部屋に12人居た。12人居た叔父さん以外の11人は皆、叔父さんの寝息や寝返りや寝言に敏感で、長男くんが側で様子を観ていた。
たわいもない話ばかりした。孫たちの特技とか、趣味とか、赤ちゃんの頃の話とか。従兄弟の子の赤ちゃんがブロッコリー食べてて「うわー凄い〜、見てん見てん」と野菜嫌いのウチの子に促す妻と無視する子とか。誰かが「お父さんいびきでかい」って言うてたりとか。そんないびきを僕らは一緒に聞いてるだけのたわいもない時間。特に込み入った話もしないままの居心地の良い人たちの笑顔とか。なんか死にそうな人を皆それぞれ自覚してて、そんなお父さんのいびきだけでも十分なんとなく幸せなんです、僕たち私たち、わはは。って完璧な時間だった。

その最期のお見舞いの時は叔父さんはずっと眠っていたように思ったんだけど、通夜の時に奥さんから「あの日みーくん(僕)ら帰ってからな、お父さんが、みーくんの子供大きなってたなぁ、て言うてたで。話も結構聞いてないようで聞いとうでー」とおっしゃってくれた。僕は嬉しさと驚きで涙グワって堪えて笑った。
ブロッコリーの下りとか、ウチのオトンがオカンにおんぶされて病院連れて行った話とかも全部聞いてたんかもしれへんなぁってジーンとした。

お店にも何度か来て応援してくれてたかっこいい叔父さんだった。死に際にちゃんと家族まとまって沢山の人がお見舞いに来られてたん、やっぱりその人となりが魅力なんやったんやと思う。いい感じのいびき忘れない。