2021年 12月

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「親切」

小さな親切大きなお世話って言葉にもろはまってしまった出来事があった。
スタッフが休憩中、女性客3名さまで、注文を僕が訊いて、僕が全部ひとりで作る流れだった。

スペシャルモーニング3セットのオーダー。
ホットドッグ&アーモンドトースト2セット
サンドイッチ&アーモンドトーストセット1セット

ということはホットドッグ2個、アーモンドトースト3個、サンドイッチ1個。先ずウインナーを2本湯がく。はじめの段階で既に凡ミスをしており3本湯がいていた。これを「団子どっこいしょの法則」と自分だけ呼んでいる。小学生の国語で習った話しです。【子どもがお婆さんに団子を作ってもらい食べたところ、初めて食べる団子に感動して、家でお母さんにも団子作ってもらおうと思い、お婆さんの家から自宅へ帰る途中忘れないように「団子団子団子団子」と連呼しながら帰った。途中に川に差し掛かり、飛び越えるさいに「どっこいしょ」と掛け声をしてしまい、団子がどっこいしょに変わってしまい家に着いてお母さんに「お母さん!どっこいしょ作って!」となるオチの話しです】

ホットドッグ3つに増えてアーモンドトースト2つ減っていた。当然提供した際にお客さまに指摘され間違いに気付く。お客さまは「このままでいいですよ〜」と言って下さり、すんません!って感じで履けたんだけど、自分の阿保さ加減に腹立ち、お客さまを喜ばせたいと思い、薄いアーモンドトーストを焼いてそっとテーブルに持って行った。すんませんお腹いっぱいなら食べなくてもいいので、心ばかりですがどうぞ。と伝えまた履けた。
ゆっくりされてから退店され食器を下げに行ったら、後で差し出したミニアーモンドトースト丸々残していた。なんと俺は愚かなんだと感じた。自分がミスした挙句、ええかっこしたいだけで、人の気持ちに全然寄り添えれてないやん、ダサいねオレ、。お腹いっぱいだっちゅーの、。こういうことを僕はよくしてしまう。テイクアウトの注文も時間指定で聞いて承諾したものの、自分の実力を過信して全然間に合わず更にお待たせさせてしまう、とか。やる気と力量が比例してないから、逆に迷惑かける形になってしまうんですよねえ。身の丈をわきまえて、人の気持ちの裏をかこうとかせこいこと考えず、自分に出来る事を頑張ればいいだけなんだなあと後になってからやっと思いが至る。優しい人になりたい。最終的に気合いっていうのが好きでコテコテな根性論にはまってる自分を一回しばいたらなあかんな、とか、そのしばくもダメやん、とか、自問自答の毎日です。だけどこれだけは本当に思うんです、人に少しだけでも喜んでもらいたいってまじ。

10円ドーナツひとり反省会

10周年企画の10円ドーナツがお陰様で大盛況バカ売れしまして、午前中で完売、ありがとうございました。そして、お待たせさせてしまったり、目前で完売してしまったお客様、この場を借りて謝ります。すみませんでした。 色々と考えさせられて、ちょっと頭の中整理したくて書いてみようとなりました。

最近また仏教マイブームが来てて、悟りとか仏の道とか執着を捨てたいとかがぐるぐる頭の中で回り出してて、そんな中で10円ドーナツが生まれてしまいました。自分の中ではお布施のイメージで感謝の気持ちを表そうとしたんだけど、思いつきのノリと、実際現実的にするのとではかなり隔たりがあり、色んな予期せぬ事態を招いてしまった。

2日連続でした初日は、3人態勢だったのでドーナツ揚げ立てが美味しいから揚げながらでも出来るやろうと考えたのが甘い考えだった。

8時オープンからすでにお客さんのドーナツ待ちが居て、一発目が揚がるのは8時30分頃だったのでいきなり待たせてしまった。しかも店内飲食のお客さんも一気に重なりいきなりドーナツ祭りが始まった。一日100個程作ったんだけど、揚げた瞬間飛ぶようになくなっていった。2日目は妻と2人営業だったので、先に100個作る作戦に変更した。

当たり前だけどドーナツ以外の仕込みもある。買い出しも込みで考えたら徹夜は決定。土曜日の夜に何も出来てない時にヤバいモードになり買い出しの時に道に迷う。いつも行ってるスーパーなのに道が分からなくなりナビに連れて行ってもらう。一生通らんやろなみたいな細い路地裏走らされて音楽ガンガンかけてたら、なんか無敵みたいなってヤバかった。結局朝方の5時までかかってなんとかパンは焼き上げた。

小一時間寝てすぐまた2ラウンドのゴング頭の中で鳴ってスタート。僕がホールで、妻が厨房の人事なんだけど、僕が不慣れなポジションなんでテンパりながらの接客になった。
言い方失礼だけど、押し寄せる飲食軍とドーナツ軍の二重の待ち行列が出来て、最前列の一兵卒の僕としては命がいくらあっても足らない状況で、もう無理だと感じたので妻に「チェンジしてくれんやろか?」と問うたら「やだ」って返されもう頭クラクラ。たまに白目になりながら押し寄せるお客様を捌いた。

100個でも全然足らんやんけ、玉砕やんけ、半泣き寝不足呂律も回らんくなった時に覚醒しだして、全く疲れを感じないモードに突入した。 やるだけの事はやったんや、俺たち播磨イチ頑張っとんや、とか自分に酔うて上から目線でイキってる瞬間あった。

自分でやらかした事、全部自分のせいでぐっちゃぐちゃぐちゃになったけど、終わってみれば楽しかった。阿保な事をやり切った充実感が残った。

10年後また、次は20円ドーナツなんだろか、てかお店があるのかわかんないけど、またその時阿呆なことすると思います。仏教のお布施とはほど遠い自我が揺れまくる結果になりました。ひとり反省会おわり。

孔雀の絵の話

小学1年か2年かの頃、初めて満足度MAXの絵を描いたことを憶えている。学校に提出用のポスターだったと思うけど、「孔雀」を描いた。子供ながら頭に浮かんだ孔雀は羽のひとつひとつの模様が綺麗なグラデーションになっていて、それが数えきれないくらい広がっていた。頭に浮かんでしまったのだけど、実際に自分自身が描ける自信が無くて、その自分の発想に震えてビビった。母親に相談したら、描きなさい、と言われたので描き始めたはいいが、羽の枚数を果てしなく描いてしまい、深夜になっても全然完成しなかった。間に合わないし完成する気がしなくて、僕は泣きながら描いた。母親がそれを見て、すごくいいから頑張って!みたいな言葉は忘れたけど、兎に角励ましてくれてたのは覚えてる。
明け方までかかってボロボロに泣きもって完成した絵は、孔雀がワッサーって羽をMAXに広げてて、顔は横向きドヤ顔、背景は真っ黄っ黄だったと思う。僕は生まれて初めて本気を出した。その絵はたしか大賞になり、家に帰って来なかった。記憶が曖昧だけど多分そんな感じ。僕、お勉強もスポーツも出来ない鈍間くんで(今も)、そんな経験した事無かったから、今でも鮮明に覚えてる。あの時描いた孔雀の絵が最高傑作で、未だにあれを超える作品は出来ていない。作品って絵に限らず、料理、音楽、なんでもいいんだけど、自分が考えて作る物のことです。イメージが湧いて、その通りにする技術がなかったり、イメージが弱かったり、殆どがボツ作だらけ。。

お店を始めて10年が経つ。どんどん先のイメージ膨らませたくて、過去振り返ってウダウダするのがアホらしくて、あの時の孔雀を超えていく何かを見つけたい欲が増している。隣りの芝は青く見えるし、人間関係面倒くさなるし、人と比べてしまえば落ち込んでる。水木しげるが言うようなことが何となく分かる年頃になったようで、好きなことに没頭してる時は幸福なんやな、とか、ふと思う。

えー何がいいたいのかと言いますと、最高傑作はまだ出来てないから気長にお待ちください?てことか。何か変だけど今はこんな気分です。よろしく。