2021年 6月

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ネットvs現実 第四話

スマホの向こう側の顔の見えない誰かさんのいいねより、わざわざわかりにくい所を探して来てくださった、目の前のお客さんの「あー美味しかった」がほしい。いやうそ、スマホの向こう側の誰かさんからのいいねもいっぱいほしいさ、人間だもの。まー結局はどっちも大切ちゅう事でした。今回は現実話を少々します。

ずっと料理ばかりで厨房にこもってると頭がおかしくなりそうなので、たまにホール作業をするようにしてる。その時の僕はウエイターつうよりウエイトレス気分で、バイトさんらからは「ミノコ」と呼ばれている。(本名はミノル)
ミノコたまにしかホールしないから、ちょいドジっ子だし、対人恐怖症気味だから人の目を見て話しするとドギマギしちゃう。だけど、本当はお客さんむっちゃ好きで、ミノコ的にはコロナなかったら全員ハグしたい気持ち。いやうそ、ハグは流石にしない。感謝してることちゃんと伝えたいので、接客時はなるべく目を見て話ししようとか、なるべく優し〜い返事しようとか、ミノコなりにあがいてるつもり。

レジにて。お会計〇〇円です、とお伝えした時に、女性2人組のひとりの方が「1万円しかないー、細かいのないー、めっちゃうざい客やんー」と小声で言うてたの聞こえたので、勇気を振り絞り、目を見て、「全然うざくないですよ!」って応えたらプチ笑いしてくれて嬉しかったり。

レジにて。3人家族のお会計時、むきむきマッチョなパパさんが腰低い感じで「チョコバナナシフォン、ってランチセットに書いてたんですが、バナナ乗ってなかったんすけど、、」とご指摘され、慌てふためき「すみませーん!」を連発するしか能がなかった。お釣りを返す瞬間に50円バックしよかな、いやそんなせこいことしたら逆に怒らせるかな、て、あわわあわわしてるうちに、お客さんは残念そうに帰ってしまった。ムッキムキやったし、低姿勢で紳士的やったし、ミノコの完敗だった。(ほんますんませんでした)

注文時にて。メニューを説明しようとメニュー表を手に取ろうとしたら見えない角度で、お客さん(若い女の子)の細い手をいやらしい感じで触ってしまい、「すみませーん!」連発する僕に対し手を隠すお方。その方注文した料理あまり食してなかったので、僕が手を触ってきも悪すぎて食欲失せたんやろか、と被害妄想に落ちいり、ため息ひとつ。。

現実って生の感じ、何が起こるか分からない、やっぱりこの生の感じ、良いなー。対人はやっぱ疲れ方が精神に来る。大量にパン焼くほうがある意味楽だわ。

つづく

ネットvs現実 第三話

1日のスマホを触ってる時間を1時間くらいに抑えれるようになってきた。なるべく必要な時だけ開くように心がけてたら、日に日にあまり気にならなくなり、ガラケー時代のただの携帯電話みたいになっていた。

最近、レンタルビデオ屋で「北の国から」をドラマから鑑賞するのにハマっている。休みの日は2本観たりして泣いている。あの世界ってスマホどころか、電気も水道もない極寒の生活で生き抜く、人間の辛さとかたくましさとかもろさとか、一言で言えない魅力が詰まってる。毎回泣いてまう。
たしか、純がちょうど中3の頃の回、初恋、だったと思うけど、大昔見た時は純目線だったのに、今見たら五郎さん目線にすり替わってた。
希薄になってるお父さんに純が「昔はなんでも挑戦してたじゃないか!」みたいなシーンがあるんだけど、僕の息子も丁度中3で、僕自身も五郎さんみたいに希薄になってるようで、そのセリフが胸に刺さった。出来ない言い訳ばっか並べてる。しんどいしんどいばっかで、愚痴っぽくなってる。他者への労りとか、ねぎらいとか、忘れかけていた。

という感じで、ドラマ観てはしょっちゅう泣いてるんだけど、最近思うのは、涙もおしっこや汗と同じだなぁということ。おしっこや汗は身体的に排出しないといけなくて、出さないと身体を壊す。涙は精神的な排出物で、これも同じく、出さないと心を壊す。身体と心は別のようで同じで、お互いを見つめ合いなかがら 二人三期で自分の調子を支えているわけ。。身体を壊すと心も病む、心を病めば身体を壊す。そういうものだし。

疲れたら休めばいい。ただ疲れる事にびびって自分を抑制しながらダラダラ過ごしてると、何も成し遂げれなくなって来てる気がする。疲れるまでは走れよっていうか、。

ブログなんかで宣言するのダセーから行動しようと思う。あと、五郎さん(田中邦衛)が歌う、長渕剛の「やるならいましかねぇ」ってサビ、最高でした。

つづく

ネットvs現実 第二話

スマホの使ってる時間割が分かる表あるでしょ?あれ見ていつもやな気分になるんです。スマホを見てる時間が4時間とかマジかよって思うけど、スマホと僕どっちが優秀かっつったら100パースマホなんでマジなんだろう。つい通知が来ると見てしまうし、通知が来なくても通知待ちでヒマでもないのにスマホに手が伸びる。前に誰かのツイートで「ツイッターしてる場合ではない時にこそツイッターしてる」てのを見て、わーほんまほんまって納得させられた事があった。本当に有意義な情報を得てるのって1年のうち数回だ。そんなことわかっててチロチロタイムライン見たりして時間を潰している。タバコを止めた時と似た感情が少し湧いた。
インターネット止めよう。

慣れ親しんだものに急に飽きたり、ハマってた趣味が急につまらなく感じたり、可愛いなって好意持ってた人がブスに見えたり、僕という人間はいい加減な半端者なとこが昔からある。詰まってしまう事が、つまらない?合ってるのかな?丁度いい感じになるとぶっ壊したくなる。不安だから安心したいんだけど、いざちょっと安心するともう1人の僕が、「お前、不安定の方が好きなくせに」と囁いてくる。嗚呼、なんて面倒臭い性格なのか、バカバカバカ!そして静かに自ら後退してしまう自分がいる。

スマホ依存症を断ち切り、僕は僕のしたい事(というかお仕事)に昇進しようと決めた(という決意をそのスマホでしてる矛盾)。アレとコレがごっちゃになって訳がわからない。

つづく

ネットVS現実 第一話

SNSの一切を断ち切ろうと「諸事情によりSNSをしばらく削除します」とSNS上でお知らせをした。諸事情って何と曖昧な言い回しなのか、結局のところ言いたくないことやから訊かんといてな、的なずるい言い回しだな。

昔はアホな頭で文章考えて手紙を書いたり、電話番号を苦労して手に入れて勇気振り絞り好きなあのこに電話かけて声が聴こえたら慌てて切ったり、なんと不便で時間のかかることばっかりを繰り返してたのだろうか、と思う。今の時代、電話番号なんか知らないのが当たり前で、誰やねんおまえ、的な人達ともじゃんじゃん繋がり放題で余裕で連絡が出来ちゃう。それにしてもおやつはカールじゃないけど、それにしても現実は地味で関わってる人も2〜3人で、都会人の人脈やテレビドラマのような入り組んだ人間関係、三角とか四角とか知らんけど、こんがらがった図式にはほど遠い。自分、妻、子、スタッフ、客、たまにおかん、以上。すごくシンプルだ。ネット社会が、原哲夫の北斗の拳なら、現実の人間関係なんかへのへのもへじみたいにかんちくりん。そのギャップというか、嘘と本当というか、ふたつの世界に対して、僕は多分滅入ってしまったんだと思う。ちょっと説明が長くなるので分けてみようと思う。第一話はこの辺でやめておきます。