2021年 1月

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コロナ対策

2回目の緊急事態宣言が出てからピタリと客足が止まった。その前日は駆け込み乗車のようにお客さん多くて忙しかったのに、手のひらを返したかのように暇になった。夜営業されてるお店は壊滅的で、近所のお店も閉店したり休業したりで、見るも無惨な気持ちになる。たまたまウチはこの件に関しては運が良かっただけのように思う。

うーむ、このまま何もしないで耐え忍ぶにも限界かなと思って、コロナ対策真剣に考えてみた。やろうと思えば究極は休業が1番のコロナ対策なんだけど、お店閉めたら家族やスタッフを困らせてしまうし、単純にお金がなくなって閉店しましたってのは芸が無い。やれることやろうと思った。第一波の頃はまだ今より得体の知れないウィルスで対策の仕方も探り探りだった。
広島の有名な餃子店は徹底的に対策しようとしてたら、何とかエモンにSNSで「コロナ脳が!」っていちゃもんつけられる始末。無茶苦茶な話だけど、実際得体の知れない新型ウィルスの事で見解が様々なのは仕方ないし、衝突することも当然の結果だと思う。価値観とか、勉強の仕方とか、モノの考え方とか、色々あっていいんだけど、皆自分が正しいと思い込んで生活してるから、悪気のない悪ってそこら中にうじゃうじゃ居る。てか、きっと僕も誰かさんにとっては悪なんだ。

換気、消毒、テーブル数を減らす、アクリル板設置、、そこまでは対策として妻と話し合って直ぐ決まった。悩んだのがマスク着用をお願いするかどうかだった。このご時世マスク着用は当たり前というのを踏まえても、やれ、喋らなかったら問題ないやろがい、やれ、食事はマスク外すやろがい、とか言い出すおバカさんが現れたら鬱陶しいなぁ、とか悩み、輩みたいに絡まれるん嫌やなぁ、プッツンきちゃって「やかましわ!出てけー!」つって、お前が1番飛沫飛ばしてやかましいやん、てことにもなりかねない。
マスク着用は常識人なら大丈夫か、って事であえて項目にあげなかった。僕はルールを敷くのがとても苦手で、禁止規制と言われるとテンション下がる。これはルールじゃなくて、マナーの項目だ、と言い聞かせた。「家族だから密でも大丈夫でしょ?アクリル板邪魔なんで外してくんない?」的な人ちらほら居てます。だけど、それとこれは別ではないんだよぉぉぉ。茶舞台ひっくり返す発言に値するんだよぉぉぉ。

同じひとつの行動に「いいね」と「やだね」が評価される。アクリル板が邪魔だって不機嫌になる人もいれば、ちゃんとしてるの感心だわ?っておっしゃる人もいる。

だからマナーは守ろう。気分良く帰ってほしいし、休業もしたくないんです。綺麗事かもしれないけど、お客さんといい感じでいたいってまじで願っているんです。

 

よろしくお願いします!

結束バンド

色々なことが気になって集中力が持続しない。昔からそうだけど、これというものがない。情緒不安定なときは何をしても落ち着きがなく、一度に色々なことをしようとしてしまう。スマホ触って、誰かのブログ読みながら途中で止めて、読みかけの本読み始めて、また止めて、テレビつけてすぐ消して、ギター触ろうかな、いや漫画読もかな、いや、鞄の中身片付けないといけないな、とか、30分くらい直ぐ経つ。

仕事も多分、この道一筋の専門店って出来ない理由そんな意識が散らかるタイプだからあれこれやって手を出してしまうんだと思う。。食パン屋さんは食パンしか焼かない。らーめん屋さんは一杯入魂。凄いなあと思う。真似出来ないことだ。人を楽しませたいとか以前に自分が楽しくないとって過剰に思うてるとこあるのか、バラバラなのをいっぺんにする方が楽しいと思い込んでいる。

今日もなんか情緒が不安定で、強風警報出てたみたいで、強風でお店の看板がお客さまの車に当たってたみたいで、傷が付いたかもと無性にきになり、お客さんに謝った。どうって事ないから大丈夫だと思います〜、とおっしゃってたんだけど、だと思います〜だから、本当は大丈夫じゃないんだわ、あーやだやだ、。と、心がガサガサしていた。

家に帰ると今度は自転車置き場のテントが裏の家までぶっ飛んで、裏の隣人がテントを戻してくれて、ビニール紐で応急処置でくくってくれていた(息子に聞く)。謝りに行かなきゃと、裏の家の人に謝り、状況を確認した。車大丈夫ですか?と問うと、笑いながら、大丈夫でしょう、みたいなニュアンスで応えた。あー、大丈夫じゃないぃぃ、と情緒がグラグラになる。一応その場は謝りながら去ったけど、まだ気持ちが強風で飛ばされてまいそうな感じだった。なんでこんな事が1日に2回もあんねんとかブツブツ言いながら、近所のホームセンターで、テントを縛る結束バンドを妻と買いに出た。
僕がグラグラなときに妻は大概しっかりして行動的で頼もしい。直ぐに結束バンド買いに行こって言うし、まじで直ぐ行くし、手順や1日のスケジュールも合理的で素晴らしいて思う。

僕と妻は1番強そうな結束バンドを買った。僕、妻、結束バンド。テントというか、僕と妻が結束されてる感じがした。一日中情緒が不安定だったけど、夜になってやっと安定した。結束バンドありがとさん。

お勉強と学問は違う、だそうです

最近、爆笑問題の太田光にはまって色々動画みたり本読んだりしてるんだけど、「爆問学問」って番組見てあれこれ思う。爆笑問題のふたりが有名大学に行って教授や生徒達とトークバトルする。僕、学生の頃勉強嫌いで、まともにお勉強した事なかった。

授業てスタイルが理解出来ないというか、なんでこんな興味ないしょうもないオトナの話をコドモが40人くらい集まって聞くのか。ぶっちゃけ何の意味があるのかはっきり応えてくれるオトナなど皆無で、学生は勉強が仕事とか更に意味わからないこと押し付けてくる人いるし、学校というミニ軍隊育成所みたいなところ苦痛でしかなかった。まあ、友達がいたり、好きな子がいたりしたから行くもんだった。学校の意義ってなんなんだ?偏差値高けりゃエライのか?高学歴だと幸せになれるのか?何でずっと英語教えてるのに話せないままなんだ?ほんでもって生徒ほぼ話せてないのに先生は何でクビにならないんだ?歴史いうて3千年前の誰も見た事ないウソみたいな逸話知ったところで今の時代に何の役に立つのか?なんせさっぱりわからない。大学4年間遊ぶために親に高い授業料払わせる神経がまじわからない。それなのに店しだしてから、大学教授の難しい本読んだりしてる。
あれ程学校アレルギーで大嫌いだったのに、何でかなーと思ってた。
太田光さんも全く同じこと言ってて、先生が嫌い、学校が嫌い、って番組で言ってたんだけど、どこかの大学教授がその発言に応えていて腑に落ちた。
「お勉強と学問は違う」だそうです。僕はお勉強出来ないけど、学問に興味あるんだわ、阿保だから。と。
学歴社会、学歴差別クソ喰らえ。自分がお勉強が出来ないから劣等感で思うてたってのもあるんだけど、あの競走させたり順位とかがほんま嫌だわ〜、なくなればいいのに〜、って呪いのように思う。そうじゃなくて学問って、自分の問題だから楽しいし、興味深々。なんて俺は阿保なんだろうか、と本読んだり、賢い人の話聞くと思う。だけどそれが凄く心地よい反省なんよなぁ。不思議だけど、1ミリだけでも賢くなった気がすると充実した気分になる。他人との会話や、考え方、それぞれで凄く面白い。

例えば、僕、会社員時代に浮いてたみたいでいつも原因不明の不眠症に悩んでたんだけど、自営し出してからやる事ありすぎてパニックになったけど、毎日泥のように眠ってる。
身体は男の子だけど心は女の子で女装してみたら凄いしっくり来た、みたいな。そんなことも何も知らないで、本読んでたらその答えが明確に書いてあって夜中に泣いてもうたりするんです。お勉強出来ないけど学問は誰でも出来る。社会の仕組みや、人間って奴は複雑で頭おかしいくなるけど、複雑だからこそもっと知りたいんだなぁ。。

オチない話でしょうもないでしょうけど、僕ずっとこんなんなんです。最後まで読んで頂きありがとうございました〜。