8年前

「8年前」

お店は妻と僕とふたりでスタートさせた。僕は今よりも更に弱虫だった。半年で妻はお店を辞めた。
下手な芝居みたいなセリフを今でもはっきりと覚えている。

当時は今よりもパン屋さんよりで、パン棚も立派な物で毎日焼くパンリスト表通り、40個くらいは焼いていた。
僕は手作りパンの喫茶店をすれば、朝からママさんらが焼き立てパンを買いに沢山売れると勝手な思い込みで変な自信があった。実際お店を始めてみると、まるでその日暮らしの風来坊みたいで、売れることは希で、ほぼ暇だった。日曜日の朝ですら老人が2人来ただけとか、ざらにあった。
半年くらい過ぎた頃、お金もみるみる無くなり、余裕も自信も無くなり、夫婦仲もピリピリしてたように思う。

その日の出来事は今でもよく覚えてる。僕がモーニングタイムでパン仕込む理由で妻に「お客さん来たらひとりでしてくれる?」と問うたら、あからさまに嫌々「ええ?」と返されたので、プッツン来てしまった。
僕は今でも思うことだけど、「やらされてするくらいならしない方がまし、やりたい人としか仕事をしない」と決めてるところがある。
とにかく、お店がひまで気がたってて、その「ええ?」だけで妻に当たり散らすという、幼稚な態度をとった。

「出てけ!辞めちまえ!!」

確かにこう言った。ヤメチマエ。

妻は泣きながら鞄を抱えて出て行った。そんな日に限って、ひとり営業してる日に限って珍しく忙しくなるもので、本当にこんなに早くバチが当たるなんて思ってもみなかった。お客さん来店重なるんで仕込むが出来ず、ランチ分のハンバーグが無くなってしまった。母親が見兼ねてランチタイムに手伝ってくれたんだけど、飲食店は素人なんでチョンボが重なる。もう無茶苦茶だった。ハンバーガーを注文してるお客さんなのにハンバーグのオーダーをとって来てしまい、長時間かけて提供した挙句に、違うと指摘され、作り直すにも肝心のハンバーグは無く、お客さんは怒り心頭帰ってしまった。

妻がいない。妻がいないと何一つ成し遂げることの出来ないポンコツ店主の僕。最低最悪な気分で打ちのめされ、流石に「戻って来てくれ」と言うのも虫が良過ぎる、しかし、目の前には沢山のお客さんの不信な眼差し。妻に電話した。繋がったんだけど、気晴らしに神戸に来てる、と言われた。もう無茶苦茶の無茶苦茶だった。提供時間も50分くらいかかってる人もいた。

みんな居なくなって散らかり放題の店内で、ひとりで号泣した。

何でこんなことしてまでお店しなきゃ行けないんだろうか、才能もお金も無いのに。何でするのか。理屈じゃないところでそれにしても「面白い」と思った。何しとんねん無茶苦茶やんけ。こんな大失敗は少ないけど、小さな失敗は毎日ある。人に迷惑をかけてやらせてもらってるんだから、なんとしても良い店を作らないといけない。そうじゃないと一生失敗人間のDVヤロウになってしまうではないか、そんな決意だった。

あれから8年。ついこの前のような気もするし、遙か大昔のような気もする。2年くらい前にお店に妻が帰って来てからも、あの日の決意をたまに思い出す。あんなのはお店じゃない。だから毎日スタッフにあれこれ口うるさく言うし、家に帰っても妻と今日のあのお客さんの対応がどうのこうの、神経質かってくらい話し合う。これで完成とかはずっとないけど、今のところ僕らは前より仲良くしてます。

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